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数分後、吉田と誠一は小さな公園のベンチに座っていた。
吉田の手には誠一が買った缶の紅茶が握られている。
なんとか吉田をなだめることに成功し、とりあえず話を聞こうと落ち着ける場所に移動したのだ。
「それで、景汰から聞いた話って、どういう内容なんだ?」
自分と澪が付き合っているだなんて、どうして景汰はそんなことを言ったのだろうか。
「なんでも、今日……あ、正確には昨日のことなんですけど」
景汰が誠一より一足先に大学を出たころ、友人の一人からメールが届いたらしい。
そのメールは、昼に食堂で澪が男とイチャついていたのを見かけたという内容のものだった。
その情報は澪のファンクラブを中心に、あちこちに出回ることになった。
そして、その男の特徴が誠一に見事に当てはまっていたのだ。
澪は誠一と会話をする数少ない、いや、唯一といってもいい女性である。
それらの情報を元に景汰が推理をした結果が、『誠一と澪が付き合っている』というものだったのだ。
「あのアホ。なにわけの分からんことを……」
「じゃあ、違うんですか?」
吉田の質問に、大きく頷いて答える。
確かにあの時食堂にはたくさんの人がいた。
誠一はともかく、澪の顔を大学内で知らないものなどそうはいない。その澪が、男と親しげにしていたらすぐさま情報が流れるのも仕方のないことだろう。
その現場を見つけたのが、ファンクラブの会員ではなかったことがせめてもの救いだ。
「そうなんですか……」
少しだけ弾むような声で、吉田は呟く。
「そっか……」
そのままうつむいて何か思案をしているようだ。
待っていようかとも思ったが、すでに時間も遅い。今日はもう家に帰したほうがいいだろう。そう判断して誠一は立ち上がった。
「あ……」
「ん?」
吉田がなにか言いたげな声を上げるがすぐに、
「……いいえ。なんでもないです」
小さく首を横に振った。
「それじゃあ、行くか」
二人は再び、吉田のマンションへと歩き出した。
「今日はありがとうございました」
管理人室の前で別れ、誠一は自宅へと来た道を戻り始めた。
人通りのない道を歩きながら、誠一はこの三日間のことを思い出していた。
……こういうのも、悪くないものだな。
友人たちで集まって騒いだりする経験など、誠一には数えるくらいしかない。
さらに、誠一が楽しいと思えるものはその中にはほとんどなかった。
だが、景汰や佐倉、吉田と一緒にいた時間はそう悪くはないと思えた。
今まで誠一が知らなかった時間。知ろうとすら思わなかった、あえて避けて生きてきた事。
……ガラじゃないな。
深い思考に入りそうなので、無理やりに中断した。それより今は明日のことでも考えるべきだろう。
「どうせ明日も卒研だがな」
自分の呟いた言葉に、悪寒を感じた。
――――明日。
朝に感じていた恐怖が、じわりと心に広がる。
背中に、氷でできた針を突き刺されたかのように、鋭く冷たい感触。
――――明日は本当に『明日』なのか。
「何考えてるんだ、俺は」
自分は予知夢で、二十二日を見ただけなのだ。
それ以外の可能性なんてない。ありえるはずがない。
夜が明けたら、二十三日の朝がくるのだ。そうに決まっている。
自然と家に向かう足が速くなっていく。
今はただ、親しみすら感じていた夜の闇から逃げたかった。明るい場所に、人がいるところに行きたいと思った。
徐々に速まる歩みは、自宅につくころには全力疾走になっていた。
息を整えてから、ドアに鍵を差し込む。
……開いてる!?
出るときには確かに閉めたはずのドアの鍵が、今は開いていた。
中から景汰と佐倉、それと聞き覚えのある人物の声。
誠一がドアを開けると、三組の目が誠一を捕らえた。
「やっと帰ってきた。おそいぞ〜」
ビールの缶を手に、赤みの帯びた顔をした澪が、そこにはいた。
「……なんで、ここにいるんだ?」
誠一の問いに、景汰と佐倉は顔を見合わせてニヤリと笑うだけだった。
すでに酔いが覚めているのか、景汰は佐倉と協力して散らばる空き缶をゴミ袋へと次々に放り込む。
片づけが終わるや否や、二人はいまだ呆然と玄関で立ち尽くしている誠一の横を通り過ぎ、部屋から出て行った。
帰り際に、
「おじゃま虫は帰るね〜」
「んじゃ、明日詳しく話を聞かせてもらうぞ」
と言い残し、ニヤニヤと笑って去っていくのに誠一は嫌な予感を覚えた。
ドアが閉まり、部屋の中に誠一と澪だけが残る。
「どうしたの?早く入りなよ」
いつまでも立ったままの誠一に、澪が声をかけた。
澪はすでに目が据わっている。逆らうと強硬手段に出そうなので、素直に従っておくことにした。
二人は向かい合って床に直接座る。二人の間には、澪が持参したのであろう新たなビールが入った袋が置いてある。
なにはともあれ、一番の疑問を解決しておくべきだろう。そう判断して、ちびちびとビールを飲む澪に、誠一は先程と同じ質問をもう一度問いかける。
「なんでお前がここにいるんだ」
「ん〜?昼の話、まだ終わってなかったから」
そのためだけに、ここに来たのだと言う。
そんなことのために深夜に男に部屋にやってくるという神経が、誠一には理解できない。
だが、澪はそれがさも当然と言わんばかりに用件を述べる。
「さあ、話の続き〜」
じりじりと澪が近づいてくる。これではさっきの景汰たちの時と同じ状況だ。
……こいつも絡んでくるのかよ。
澪が近づくのと同じだけ、誠一は後ずさる。
「なんで逃げるのさ〜」
「お前が追ってくるからだ」
だが狭い室内では逃げ回るにも限界がある。あっというまに隅に追い詰められてしまった。
「ふっふっふっ。覚悟〜!」
いきなり飛び掛ってきたので、誠一は支えきれず澪に押し倒される恰好になった。
「さて、白状してもらいましょうか。何で私のこといろいろ知ってたのかな〜」
女性の力とは思えないほどの強さで、誠一の両腕は澪に捕まえられていた。
力づくで逃げるのはどうやら不可能なようだ。
「ねぇ、答えなさいよ〜」
「そんなことより、お前試験があるんだろ。さっさと帰って寝たほうがいいんじゃないのか」
無駄とは思いつつ説得を試みる誠一。
予想通りというべきか、澪にはまったく効果がなかった。
「今はそんなことどうでもいいの!私が知りたいのは……!」
急に澪が誠一の上にのしかかってきた。いくら女性とはいえ、全体重をかけられてはさすがに苦しい。
誠一が無理やりどかそうとした時、あることに気づいた。
「……寝てるよ」
澪は安らかな寝息をたてて、誠一の上で眠っていた。
下手にどかすと澪を起こしてしまう。しかし、このままでは何も出来ない。
しばらく考えていたが、ろくなアイディアは出てこなかった。
……もういいや。
佐倉にかけたタオルケットがちょうど手元にあったので、澪の上からそれをかぶる。
七月のこの時期、これだけでもさすがに風邪を引いたりはしないだろう。
この状況からの脱出をあきらめるとすぐに、猛烈な眠気が誠一に襲い掛かった。
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