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狭っ苦しい部屋の中に、キーを叩く音だけが響く。
ディスプレイには次々と新しい文字が映し出されるが、部屋の中はそれ以外の変化が起こることはなく、ただ時間だけが過ぎてゆく。
同じ文章を打つのもこれで三度目、いい加減気が滅入ってくる。
気がつけば時刻は十八時になろうとしていた。
「休憩にするか、景汰」
「なんだ、気づいてたんならもっと早く休憩してくれよ」
「十分以上待つ気はないってか」
後ろには予想通り景汰の姿があった。
言おうとしていたことを先に言われた景汰は、ばつが悪そうに苦笑する。
「そういうこと。とりあえず行こうぜ」
昼間とは比べ物にならないほど静かになった食堂で、自販機に一仕事こなしてもらい、購入したての緑茶を手にイスに座る。
二人のほかに人気はなく、澪の姿ももちろん見えない。昼間の続きをされても困るので、誠一にとってはありがたいことだった。
「しかしいつまでレポート作ってるんだよ。皆はこの時期遊んでるぜ」
ここに来るまでの会話も、そして今の景汰の発言も、誠一の記憶にあるとおりのものだった。
ここまでくれば、予知夢で確定といってもいいだろう。今日の出来事は、この二日間と同じものなのだ。いくつかくい違っている点があるが、それは自分が起こした行動による誤差のようなものなのだろう。
「別にいいんだよ。ほかにすることなんてないし、する気もない」
返事をして、お茶を啜る。
自分に起こった出来事も納得いく答えが出た以上、誠一の興味はすでに薄まっていた。
誰かにこの話をしたところで信じる人は少ないだろうし、そもそも話す相手なんて誠一にはほとんどいない。
「ったく、遊んだり彼女作ったりしようとは思わないのか?」
「俺には理解できないことだね。わざわざそんな面倒なこと、自分からはしないさ」
同じ会話を繰り返すだけというのも味気ないので、誠一はあえて記憶とは違う発言をする。
すると大意は同じだが、微妙に違う返事が景汰から返ってくる。
「変わり者め。そのうち友達なくすぞ」
やれやれ、と言わんばかりにわざとらしく首をふってジェスチャーをする景汰。
「俺に友達なんていたのか、それは知らなかった」
「うわ。無二の親友に向かって、なんてひどい言い草だ!」
景汰は再び大げさな動きで驚いて見せた。細かい芸の好きな男である。
誠一もいい加減似たようなやりとりに飽きてきたので、話を一気に先に進めた。
「そういえば、今日は彼女と待ち合わせしてるとか言ってなかったか?」
そしてケンカでもして、夜になったら誠一の家にくるはずだ。
「お、そうだった。それじゃ、悪いが俺はお先に」
景汰は研究室のほうへ小走りで去っていった。その後彼女とどうなるかわかっている誠一の目には、その様子が実に滑稽に映る。
「さて、俺も戻るか」
まだ少し残っていたお茶を飲み干し、ゴミ箱へ放り投げた。
研究室に戻るころには教授も帰りたがる時間帯になるだろう。今日は色々あって精神的に疲れたので、誠一もさっさと帰ることに決めた。
個室に入るとすぐ、部屋の中で異変が起こっていることに気づいた。
消していったはずのディスプレイに、電源が入っていたのだ。
「まさか、またか?」
文字は何も表示されていないが、画面全体が真っ白になっている。
適当にキーを押してみようかと誠一が手を伸ばすと、突然一行の文が現れた。
『No Future. Because, No Answer』
画面の中心に小さく表示された文字は、数秒もしないうちに消えてしまった。
「一体なんなんだ?」
理解不能なことに呆然となる誠一だったが、教授に声をかけられたので、仕方無しに帰り支度を整え帰路につくことになった。
いつもどおり急行の電車を見送り、各駅停車が来るのをホームでじっと待つ。
待つこと数分。やっとやって来た電車に乗り込み、外を眺めて目的地までの時間をつぶす。
太陽が遠くに立ち並ぶビルの向こう側へと沈んでゆき、こちら側の世界は朱に染まっていく。そして、反対側からはゆっくりと夜が近づいていた。
眩しすぎる光は、暑すぎる熱気とともに消え、誠一にとって心地の良い時間帯となる。
電車がアパートの最寄り駅に到着すると、誠一はまずコンビニへと歩き出した。
景汰からメールが来たのは前の二回とまったく同じ時間だった。
ただ、その内容は少し違っていた。
『今家にいるか?これからそっちに行こうと思ってるんだが、行っても大丈夫か?』
誠一が大学から帰ってから行くところなどないことは、景汰も知っているはずだ。それなのに、『帰ったか?』ではなく、『家にいるか?』と聞くのはどうもおかしい。
それに、普段は遠慮なんて言葉と十光年は離れた世界で生きている景汰が、『大丈夫か?』などという言葉を使って確認を取るのも妙な話だ。
考えたところで答えは出そうにもない。一人で頭を悩ませるよりも本人に直接尋ねたほうが早いと判断し、了承の旨のメールを返した。
散らかされると判っている部屋を片付けるのは少々癪だが、景汰だけならともかく女の子が二人もくるのだ。少しは綺麗にしておいたほうがいいだろう。
ある程度部屋の中が見れるようになったころ、チャイムの音が客の来訪を告げた。
「さぁ、あがっていいよー」
「おい景汰。お前が言うな」
吉田はあいかわらず突然の訪問に恐縮しているが、誠一にとっては三日連続であっている相手である。いつもどおり気を使うことはないと告げ、中へ入るよううながす。
すでにそれぞれが何を飲むかは誠一にはわかっていることなので、確認することなく冷蔵庫の扉を開けた。
「佐倉さんはビール、吉田さんはお酒ダメだからこれだな」
冷蔵庫から三人分のビールと水入りのペットボトルを取り出し配ろうとする。だが、誰も受け取ろうとせずに誠一をまじまじと見つめていた。
「へぇ。誠一よくこの娘たちの名前知ってたな」
景汰が信じられないものを見たとばかりに呟く。他の二人も、まさか誠一の口から自分の名前が出るとは思っていなかった様子だ。
分かっていたこととはいえ、誠一は自分の見くびられ具合に思わず苦笑する。
「ま、同じ学科の人だからな」
『一昨日』とは言ってることが違うが、どうせ誠一以外には知る由もないことだ。気にする必要はないだろう。
「そんなことより、さっさと受け取ってくれ。手が冷たくてかなわん」
全員に飲み物がいきわたると、景汰が他愛もない話をし、今夜も飲み会が始まった。
「あー、そういえばさー!」
だいぶ酔いがまわっているのだろう。佐倉が夜中に出すには大きすぎる声で、誠一に話しかけてきた。
誠一は今まで適当に相槌を打つだけだったので、急なことに少し驚く。
「さっきケータから聞いたんだけどさー、あの話ってマジ?」
「そういえばそんな話もしたな。で、マジなん?」
酔っ払い二人は何の話かの説明もなしに、誠一に詰め寄ってきた。
今までにない展開にどう対処したものかと考え込むと、その沈黙を違う意味に取ったのか、酔っ払いたちのテンションはさらに上がる。
「隠さなくったっていいでしょー?」
「そうそう。さっさと話して楽になっちまえって」
……絡み酒かよ。まいったな。
じりじりと近づいてくる二人。適当なことを言ってはぐらかすのは難しそうだ。
唯一の良心である吉田はタイミング悪く席をはずしているため、助けを求めることはできない。
……あまり気は乗らないんだが、仕方ないか。
「そんなことよりさ!」
わざと大きな声を出して二人の不意をつき、その隙にまだ開けていないビールを握らせる。
「せっかくなんだ。一勝負いこうぜ」
一瞬目を丸くして呆然としていた二人だが、すぐに言葉の意味を理解して目を輝かせた。
「珍しい。なかなかノリ気だな」
「上等ね。受けてたとうじゃないの」
誘導はあっさりと成功した。この酔っ払いどもは絡まれると鬱陶しいが、案外あしらうのは簡単なようだ。
「それじゃあ、いくぞ」
フタを開け、三人で軽く缶を打ち鳴らす。
「レディ………」『ゴー!!』
一斉に缶を傾け、口の中へとビールを流し込む。
喉のなる音だけが部屋に響く。静かで、それなのに熱い刹那の勝負。
「っはー!いっちばーん」
佐倉が口から缶を離した。五百ミリリットルのビールはものの数秒で彼女の胃の中へ収まってしまった。
「っくは。チッ、負けたか」
続いたのは景汰。顔を見る限り本気でくやしがっているようだ。
そして最後に缶を置いたのは誠一だった。その缶にはまだビールが半分以上残っている。
誠一にははじめから勝負に勝つ気などない。話を逸らせた時点で目的は達しているので、少しだけ飲んで二人のうちどちらかが飲み干すのをまっていたのだ。
「あ〜、う〜」
佐倉がユラユラと上体を揺らしながら、意味不明な声を発した。
ちょうど戻ってきた吉田が、佐倉の異常に気づいて近づいた。
「さ、佐倉。大丈夫?」
どう見ても大丈夫じゃなさそうな佐倉の体を、吉田が心配そうに支える。
「ん〜。ちょっとダメ、少し寝る」
そういって佐倉は部屋の隅で横になった。仕方ないので誠一がタオルケットを渡すと、あっという間にそれに包まって寝息をたてる。
「うぅ。俺もなんか酔ったみたいだ」
さもたった今酔いがまわったかのようなことを言い、もう一人の酔っ払いも横になった。
こちらは正直どうでもいいので、そのままほっとくことにする。
「やれやれ、こんなになるまで何で飲むのかな」
部屋に横たわる二人の泥酔者。その心理を誠一が推し量るのは不可能に等しい。
時計を見ると、もう日付が変わってからだいぶ時間がたっていた。
それにつられて吉田も時計を見て、そのあと眠っている佐倉を見た。帰ろうにもこの友人を置いていくのはまずいと思っているのだろうか。
「ああ、帰るなら送っていく。そこの二人はとりあえず置いとけばいいから。佐倉さんはあとで景汰に送らせるから大丈夫だ」
まだ少し心配そうな顔をしていた吉田だったが、やがて納得したように頷いてくれた。
帰りは一人で大丈夫だと言う吉田の意見をあっさりと無視して、二人は一緒に部屋を出た。
かける言葉も思いつかないので、誠一は吉田の横に並んで歩く。
遠くから聞こえる車の音がなかったら、自分たち以外に生き物なんていないのではないかと錯覚しそうなほどに夜は静寂に満ちていた。
「あの、鳳くん」
静寂を破ったのは吉田だった。
どこか遠慮がちな、だが何かしらの覚悟を秘めたような声。
吉田はうつむいて喋っていたので、誠一から表情は見えないが、それでも彼女の真剣さは伝わってきた。
「その、一つ聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
ちらりと上目づかいで誠一を見る。
拒絶されるとでも思っているのだろうか。その目には若干怯えのような色が混じっている気がした。
そんな目をされては断ることは不可能に近い。
「ん。いいよ、何?」
吉田が話しやすいようにと、努めて優しそうな声で問い返す。
「司馬くんから、聞いた話なんですけど」
そういえば先程景汰と佐倉がよくわからない話をしていた。
追求から逃れるために一気飲み勝負を持ちかけたから、結局どんな話だったのか分からずじまいだった。
それを知るちょうどいいチャンスだろう。誠一は吉田に続きをうながす。
吉田は一度視線をはずし、ゆっくりと深呼吸してから誠一に向き直った。
「鳳くんが、柳さんとお付き合いをしてるって本当ですか?」
「…………はぁ?」
あまりに予想外な質問に、つい威圧的な声が出てしまった。
まずいと思ったときにはもう遅く、吉田の目にはうっすらと涙がにじんでいる。
「ご、ごめんなさい!私なんかが、変なこと聞いちゃって……」
誠一が怒っていると勘違いしたのだろうか。吉田は勢いよく頭を下げて謝りだした。
「あ、いや。吉田さんが悪いんじゃなくて、いきなりだったもんでビックリしただけだ」
深夜に道端で泣きそうになって頭を下げる女と、それに慌てふためく男。傍から見たら絶対に誤解を招くな、とどうでもいい考えが誠一の頭に浮かぶ。どうやら自分もよほど焦っているようだ。
……さあ、どうしたものか。
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