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よどんだ空気を抜け出して、うだるように暑い外へと飛び出した。夏の午後2時、長年の温暖化で気温が43度にも達する『激猛暑』になっていた。
ヘクトはというと、急に走り出ししたためであろうか。昨夜の傷口が開き、足から一本の赤線がコンクリートの上に引かれていた。ヘクトの、今すぐにでもアクセル全開で飛び出したい感情とは裏腹に、足はウルトラマンのように赤信号を点滅していた。ヘクトの顔から、汗のような透明な液体が、300年を経過したビルの床を湿らせ、ヘクトはひざから倒れこみ意識を失くしてしまった。
「テスラ、しっかりしろ。俺をひとりにするなよ・・・おばぁー!・・・こっちに来るなって、おい・・・キルバール・・・ジュール・・・」
無機質な部屋の中をヘクトの声だけが空しくこだまする。アルムたちに運び込まれたのだろうか。気づくとヘクトは、汗をびっしょりかいて、昨日の部屋に仰向けに寝かされていた。目を覚ましても、なお、金縛りにかかったように動けなかった。ただ目に映るのは落ち着いた色をしている天井のコンクリートだけであった。目薬を注した後のように、少しピントがぼやけていた。さっきまでの沸騰しそうな熱い心も少しぬるくなり、同時にあいつらへの憎悪の念が沸々と煮立っていた。
「ヘクト、平気か。カレーあるけどどうするんや。冷めちまうから食べちまうぞ」
と、仲間の一人のデルタの声で頭の映画が停止した。今日、軽く言葉を交わしただけの馴れ馴れしい関西弁のデルタの声が、はっきりと目を覚ました。
そういえば昨日から何も口にしていない。食欲が金縛りに打ち勝ち、ヘクトは起き上がると階段を駆け上がり皆の待つ部屋へと向かった。
部屋に入ると、テーブルの上にあるカレーのいい匂いが鼻をくすぐり、5人の視線もいっせいにヘクトへと向かった。
「寝てなくていいのか」
アルムが心配そうに聞いた。
「腹は減ってはナントか、って昔から言うだろぅ」
と、カプトースの事件はまだ信じられずショックなようであったが、皆に心配をかけまいと、新入りの元歴戦の兵士はそんな素振りを見せず明るく振舞っていた。
「プッ、ならよかった」
ヘクトがまだ凹んでいるのを、皆は薄々気付いていたが、ヘクトにつられて明るく話した。
「そんなことよりカレーが俺を待っている」
「では、いただきますにしましょうか」
デルタも待っていましたとばかりに言った。
「さあ、座った!座った!」
ケントが椅子を引いて、ヘクトを座らせる。
「いただきます!」
皆は大声を張り上げた。
悲しさと明るさが複雑に混ざり合った雰囲気の中、ヘクトはカレーを貪るようにたいらげた。うまいかどうかなんて気にせず、何もかも忘れるように、夢中で腹を満たしていた。そんなヘクトの食べっぷりに、体を気遣っていた仲間がほっとするのも束の間、スクリーンに飛び込んできたニュースが、再び、ムードを張り詰めたものにした。
『ただいま入ってきたニュースです。昨日の謎の事件が起きました運送会社「カプートス」の従業員の一人である、ジュールという従業員が、重傷ながら軍によって保護・手当てを受けている、という情報が入りました。お手柄です。』
カレーを食べていたヘクトのスプーンが床に落ち、哀しい金属音がスクリーンの音声と重なり無情にも部屋に響いた。皆、ジュールの事を知らなかったが、ヘクトの知り合いだという事は容易に想像できた。
「人質ってわけか。汚ねーな。」
大柄なドリアーノがボソッとつぶやいた
そして画面にこげ茶のサーファーカットの髪をしたヘクトの顔写真が映し出された。
『なお、現在逃走中のヘクト容疑者は未だ行方が不明です。同容疑者は戦闘経験が豊富ですのでくれぐれも注意してください。この事件は無差別テロ事件として捜査しますので、見かけた方は軍のほうへ連絡をするように・・・・・』
プチン。誰かがスクリーンの電源を切った。沈黙が6人を包む。
「・・・」
「・・・」
バンという音とともにヘクトは立ち上がった。
「こんなところにじっとしていられるかよ。いつも社会のゴミ扱いされて、もうがまんできねぇー」
この部屋へ出ようと飛び出そうとしたヘクトの右腕を、右隣にいたトメが今度はしっかりと掴む。
「これからどうしようって言うの。まさか私の二の舞にでもなりたいわけ。」
トメが叱るように言った。二つの黒い瞳が僕の顔に突き刺さる。
「まあまあ、落ち着きましょう。トメの言う通り、今出て行ったらやつらの思う壺です。」
アルムは諭すようにアルムをなだめた。
ヘクトは、わかった、とだけ言って席に着いた。
「そういえば、昨日はどうして俺の家にいたんだ。」
「どうしてって・・・」
「それに二の舞ってどういうことだよ」
そう言うと、トメは、視界に入った黒髪を耳の後ろの方へとかき上げ、ゆっくりと息を吐いた。
「昨日は助けてもらって悪かったわね。大体の見当はついているとは思うけど、捕虜になりかけたのよ。」
ヘクトは視線を足元へそらす。
「私は日本人の中でも天皇家って言う特別な血族らしいの、まぁ特殊能力者に言ってもピンと来ないでしょうが。」
一呼吸をおいて、また口を開いた。
「昨日、『仲間』と言っていたこの4人は、私達天皇家に仕えている方たちなの。それぞれ魔法研究や武器研究のエリートなの」
ヘクトは4人を見ると、首を軽く縦に振っている。
「昨日は、町田にあった私達の隠れ家が奴らに見つかったのよ。横浜の隠れ家にいた4人は無事だったって訳。」
「それでどうなったんだ・・」
ヘクトが恐る恐る訊ねる。
「父と母は私の目の前で殺されたわ・・・私は殺されずに捕虜になるはずだったのだけど、移動の途中で運搬船が大爆発してね。それで・・・」
「もうその辺でいいんじゃないか。」
聞くに堪えなかったアルムが口をはさむ。赤毛の髪で表情は分からなかったが、震える声で言った。
「ああ・・」
ヘクトはすまなそうな顔をして答えた。
あまりにイロイロな事が起こりすぎて、ヘクトの頭はパニック寸前だったが、年があんまり変わらないように見えるトメも、また辛い経験をしたのは理解ができた。
「お前も相当辛かったんだなぁ」
ヘクトは顔から毀れてきそうになる何かを必死に抑えながら言った。トメもまた必死だった。
「そこまでは理解できたけど、まだわからない点が・・・」
ヘクトはすまなそうに言った。
「なんや。ゆうてみろ。」
今度はデルタが答えた。
「なぜ軍はあの箱をほしがるのだろう」
「だからそれは・・・わからないわ」
意味深な間合いでトメが答えた。
「ひいおじいちゃんとか言ってたよな。武器とかのプロの集団だったんなら、なんかものすごい武器でも開発したんじゃないか」
勘でヘクトが言ってみた。
「・・・」
「勘で言ってみたのだけど・・・」
「もう隠せないみたいだな」
アルムが語り始めた。
「トメのひいおじいちゃんは武器などの攻撃には興味がなくて、それよりも通信、運搬の開発のプロだったのさ」
「だったら、安全そうじゃん」
アルムは首を横に振る。
「そうはいかないんだ。国からの多額の投資で『物質転送』を開発したんだ。ヘクトも知ってるだろ」
「ああ、あの技術がなかったら、うちの会社はもっと大儲けだったからな」
ヘクトは少し驚きながら答えた。
「それに気をよくした軍は今度はひいおじい様にタイムマシーン、つまり、時代移動の機械の開発をさせたんだ」
「すげー、そんな技術があったのか」
ヘクトはさらに驚き目を丸くした。
「ううん、実際に開発したかどうかは分からないのよ。ひいおじいちゃんは原因不明の風邪で亡くなってしまったのよ。どこまで開発が進んでいたかも誰も知らないわ。」
トメは真剣な顔で答える。本当に包み隠さず答えているようであった。
「けれど、唯一の手がかりがひいおじい様の形見であるこの箱と中のフロッピーディスクってわけ。」
「つまりヤツラの狙いはタイムマシーンが開発できれば、それを使って過去へ遡って、支配をする事ができることなのです。どんな武器よりも強い武器へと変身するのです。」
緑の戦闘服を着たドリアーノが低い声で言った。
「現時点で、サヨナラホームランを起こすには、このフロッピーを解読するっきゃないってわけか。」
ヘクトは腕を組んで言った。
「逆に言えば、それを使って、殺人を食い止め人を生き延びる事も、日本人の保護政策求めることがで・・・・・」
突然、アルムは話をやめた。
「タッタッタ」人が誰か来たのであろうか。だが、皆の表情は前にも増して怯えているふうである。「ピ、ピ、ピピピ」聞きなれない電子音が辺りを包む。次の瞬間、「ドーン」という激しい爆音と砂煙が辺りを包む。
「ひとまずこっちへ」
こっちといわれても右も左も分からなかった。隣にいるのが敵かもしれない。信じられるのは己のみであった。今の爆破で誰か死んだかもしれない。皆無事かもしれない。何も分からない不安がヘクトを包む。
壁伝いに歩いて行くとトイレがあった。とにかく逃げなくては。
ヘクトはトイレへと駆け込んだ。上下左右を見たが武器になりそうなものは何もない。
「くそっ」
ただ右手にはフロッピーがしっかりと握られていただけであった。
まずどうすべきか、ヘクトは脳みそを振り絞って考えた。このまま仲間を助けに戻ったところで自分のできることは目に見えていた。生き残っているのならひとまずこの場所から脱出するはずだ。
ふと見ると、トイレの流すスイッチとは異なる真新しいボタンが隠れるようにあった。
ヘクトには躊躇している暇はなかった。「スー」という音とともに下水道管が現れた。温泉卵のような腐ったにおいが鼻を突く。
「うっ・・・」
カレーが喉の裏のほうまで上ってきて、酸っぱいものがこみ上げてきたが、なんとか漏れなかった。
「きっとみんな生きている。そうだ。そうに違いない。」
自問自答を繰り返しながらヘクトは悪臭が立ち込める暗い管へと進んでいった。
どれくらい歩いたのかはわからない。気付くと4差路になっていた。鼻が曲がるのにはもう慣れてしまったから相当な時間が経ったのだろう。
この先どこへいくべきか。カプトース、軍事組織、イロイロ考えたが、武器を持たないヘクトにとってそれは自殺行為であった。頭に浮かんだのは、昨夜の骨董品屋であった。解読するにはそこに行かなければ媒体がない。紙を置いてきてしまったことを後悔しながらも、そこにかけてみるしかなかった。
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