著者:雨守&蓮夜崎凪音(にゃぎー)
「 第一章 」





 −2−

「とりあえず帰りにとんこつラーメン大盛りチャーシュー入りね」
 N大学の保健センターの一室に早紀の嬉しそうな声が響く。
 早紀のすりむいた膝は勿論何という事の無い怪我なのだが、念のため手当てをしておこうと幸一と早紀は大学の保健センターという建物に来ていたのだ。
 この建物は一般の小中学校で言うところの、保健室に相当するもの。
 それなりの知識を持った保健の先生がいつもそこにいて、簡単な怪我や病気を診てくれるという場所である。
「はいはい。わかったよ…」
 幸一は早紀の要求にしぶしぶ応じる。
 ちなみにこの「とんこつラーメン」は早紀に助けてもらったお礼…という名目の早紀の脅迫なのだ。
 最も幸一にしてみれば、早紀が背中を押してくれたおかげで命が助かったというのも事実に他ならないので、感謝しているのも確かなのだが。
「おやおや、またやってるね、夫婦漫才」
 ふと、部屋の奥から一人の白髪の女性がのんびりした歩調で歩み寄ってきた。
「あ、田中先生…」
 彼女がこの保健センターにいつも居る保健の先生、田中道子である。
 のんびりした口調と動きで、見た目は完全に近所のおばあちゃん。性格はおっとりしていて優しいので、特にこの大学の学生には人気があるようだ。
「早紀ちゃん膝を擦りむいたんだって?一体今日は何をやらかしたんだい?」
 田中先生はニコニコしながら早紀に尋ねる。
「それがですね、聞いてくださいよ。この幸一のグズが…」
「そう、俺のグズが…って何だと!」
 早紀が話そうとしているところに、幸一は乗せられそうになりつつも突っ込む。
「いきなり二階からラケットカゴが…」
 そして二人はテニスコート付近で起こった出来事を、順を追って田中先生に話した。


「ふぅん…二階からカゴがねぇ…。幸一、あんた誰かに恨まれる覚えでもあるんじゃないのかい?」
 田中先生は話を聞いてもさほど表情を変えず、相変わらずニコニコしたままで話す。
「別に恨みまれる覚えはないですけど…、実は最近妙な嫌がらせを受けてるんですよ」
 幸一は憂鬱な気持ちをもろに顔に出しながら、田中先生の問いかけに答える。
「え?何それ?聞いてないよ?」
「言ってないからな」
 突然会話の中に入り込んできた早紀を、幸一はまるで無視するかの軽く様にかわす。
 サッカー選手のスルーパスを思わせるかのごとくスムーズに流れていった。
この流れも、いつもどおりの二人のテンポなので、田中先生も特に気にしていない様子だ。
 そして、幸一はさらに話を続ける。
「実は今週になって、自宅のパソコンにデータを破壊するプログラム…、まぁコンピュータウィルスみたいなやつかな。それがもう三回も送られてきて…、しかもその度に変なメールが届くんですよ」
 幸一は最近自宅で起きた出来事を二人に大ざっぱに説明する。
「変なメールって?」
 真っ先に質問したのは早紀だった。
「えっと…、確か初めてデータを破壊された時に届いたメールが『プレゼントは気に入ってもらえたかな?』。で、二回目の時が『毎度、お疲れ様でした』。それで三回目、つまり昨日の晩に届いたのが…」
 幸一は何故かここで少し間を持った。
「『明日の午後一時十分、もっと素敵なプレゼントを届けよう。RYUKO君』て文章なんだ」
 幸一は昨夜届いた文章を思い出し、二人に話す。
 と、言うよりもあまりにも腹立たしい出来事だったので、忘れようにも忘れられなかったと言った方が正しいかも知れない。
「えっ!?」
 と、突然早紀が驚いた声を上げる。
「幸一、ちょっと待って。RYUKO君って…」
 早紀が引っかかっていたのはメール文の最後にあった、『RYUKO』という名前だった。
「…そういう事」
 幸一は早紀の反応を見て、予想通りといった雰囲気の対応をする。
 まるで、早紀が驚くのが予測できていたかの様な…。
「え…、何なんだい?そのRYUKOってのは…?」
 その場でただ一人、事態を飲み込めていないのが田中先生だった。
「RYUKOっていうのはテニスサークルの中での幸一のあだ名なんです。本名の竜崎幸一を略してつけられた…」
 早紀は田中先生に説明する。
 そもそもN大学のテニスサークルでは新入生が入ってくると、一人一人あだ名をつけるのが決まりとなっている。
『リュウコ』というのは幸一がテニスサークルに入った時、当時の先輩からつけられたあだ名なのだ。以来、幸一はサークル内ではいつもリュウコと呼ばれている。
「そう、俺のサークルの中でのあだ名…、サークルのメンバーしか知らない…」
「…え?、ちょ、ちょっと…」
 さっきまでずっと一定に保っていた田中先生の笑顔が一瞬にして真顔に変わる。どうやら、ようやく田中先生にも幸一と早紀の言わんとしている事が伝わったらしい。
「そうです、先生」
 幸一は田中先生の目を見てそっと頷く。
「おそらく俺のPCにメールを送ってきた人物はこの大学のテニスサークルのメンバーの誰かです。そう考えれば俺のPCや携帯のメールアドレスを知っていた事にも説明がつく」
 幸一は力強くそう言う。
「昨日の晩に送られてきたメールが予告になっている。考えると当然ラケットカゴを落としたのも同一人物よね…」
 早紀にしても複雑な心境だった。
 幸一の話を聞いていれば、犯人がいかに根性の曲がった人間かがよく伝わってくる。そんな事をする人物が、普段一緒にテニスを楽しんでいるサークルの仲間の誰かだと言うのだから、動揺するのも無理はない。
「しかも、自分の正体をわざわざ俺に気付かせるためにRYUKOって名前をメールに入れやがったんだ、ふざけやがって…」
 幸一は怒りを露にする。
 確かに、サークルの人間しか知らないはずの幸一のあだ名をあえてメールに残したと言うことは、幸一に自分の招待を知らせる為にわざとやったとしか考えられない。
 これは明らかな挑発行為だ。
「幸一…、あんたこれからどうするつもりだい…?」
 田中先生は心配そうに幸一の顔を見いている。
 しかし、田中先生は口ではどうすると聞いてはいるが、幸一の性格上どうするつもりなのか、大方察しはついていた。
「決まってますよ…」
 幸一はひどく殺気に満ちた顔をしている。既に、いつも早紀と漫才をやっているときの幸一ではなかった。
 おそらく幸一のやろうとしていることは、田中先生が考えていることとほぼ一致しているのだろう。
「サークルに行って犯人をみつけてやります。俺が、この手で…」
 幸一は言いながら右の拳をぐっと握った。
 こうなってしまった幸一は暴走しかねないので、両サイドで早紀と田中先生が心配そうに見ている。

 間もなく二棟裏のテニスコートでは、テニスサークルのメンバーが練習を開始する時間になる。




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