「My Owner is Excellent!!」
著者:創作集団NoNames



−3−

「くっはー……疲れたぁ」
 ざっと十メートルはあろうかという絶壁を登り終えてカシスはそう感想を漏らした。さすがのシャルも少し額に汗がにじんでいる。
「……さすがにきつかったな。でも、休んでる暇はあまりなさそうだぜ」
「うん」
「ああ」
 二人ともナッツの顔を見て、息を整えて立ち上がる。
 無理を言ってつれてきてもらった以上は、あまりワガママを言っていられない。
「カシス、ここからの案内を頼む」
「それはいいけど、どこにいけばいいわけ?」
「…………地下、というかちょっと段差のあるところに穴を掘って立てられた礼拝堂があるだろう。そこだ」
 突如、シャルが言った。
「な……なんで分かるのよ?」
「たぶん、だ。なんか、非常に嫌な予感がするのがそこだ」
 ………予感。
 シャルがそう呼んでいる神がかり的な力。
 でも、今のは明らかに予感とか、たぶんとかそう呼べるものじゃないことをカシスは明らかに感じ取っていた。
 いつものような不確かさがコトバにまったく感じ取れない。
 絶対的な啓示といっていい。間違いなく、敵の中心と地脈がそこにある。
「わかった。こっち」
 半信半疑のままのナッツを引っ張るようにして、カシスは裏道を渡り廊下へ向けて走り出した。
 二人も走り出したカシスに無言のまま続く。
「………おっと」
 石畳で構成された渡り廊下へ滑り込む直線で、ナッツが視界の端に人の姿をとらえた。
 赤い紋章の額。
『………ミツケタ』
 一人。
 少し小柄な少年だ。
 少年は突如踵を返すと、一目散に逃げ出すように走り出した。
「っ………待てッ!」
「ちょっ、ナッツ?」
 廊下に入ったカシスが声を聞いて立ち止まる。
「奴らに見つかった、追いかけてとりあえずふんじばる!シャルトリューズ、後を頼んだ!」
「ッ?」
 シャルがはっとしたのも一瞬。
 その一瞬には、ナッツの姿は院内のどこかへと消えてしまっていた。
「………ちょ、どうしよう。私たちで何が出来るのよ、中心に行って」
「とりあえず、行くしかないだろう。こんな敵のまっただ中で戦うわけにもいかんしな」
 新着ローブの裾が気に食わないのか、少し持ち上げるようにして、シャルが言う。
「あたし達でこの騒ぎの親玉を倒すのは無理でしょ、さすがに。だって少し怪しい教団関係者と一般の高等学院生よ」
「少し怪しいとはなんです」
「だって本当のことじゃん。こんな事態になっても、私に大事なことは何一つ話さないつもりなんでしょ。少し怪しい教団関係者で十分よ」
 ちょっとだけ力を入れた言葉が、シャルの胸元に突き刺さる。
「…………」
 シャルはとっさに舌打ちと共に顔を反らしたが、カシスはその態度を見て顔を強ばらせた。
「………私って、なんでそんなに信用ないわけ?」
「………ちが」
「ちがわないよ」
 シャルの声を遮ったカシスの顔をみることなく、彼の顔がさらに沈痛に歪む。
 そんなシャルに追い討ちを掛ける。
 分かっていながら、それでもカシスにはある確信があった。
「シャル…………」
「…………」
「なにを、そんなに急いでるわけ?」
「ッ!」
 シャルの端正な顔が、一瞬だけ豹変したのを、カシスは見落とさなかった。
 明らかな動揺。
 それが、カシスの不安を増長させる結果になっているとも知らずに。
「初めから、なんかシャルは変だった。いつもなら外に出るななんて厳しいこと言わないし、このこと、はじめから知ってたみたいだったし」
「それは………」
「………言いたくないなら深く聞かない。でも、これだけ聞いておきたいの」
「…………なんですか」
 ようやく、シャルがカシスの顔を見た。
「このアンゴスチュラとかいう騒ぎと私たち、関係があるの?」
 しばらくの沈黙の後。
「………ええ」
「分かった。それ以上は今の所聞かない。シャル困るだろうし」
「…………すいません。今は………話せません」
「分かったよ。それだけ重大なんでしょ、その話…………今は、礼拝堂で例の親玉を懲らしめるほうが先だし」
 そういって軽く笑った後、カシスは何事もなかったかのようにナッツが消える前の顔つきに戻った。
「さ、行こ」
「………」
 カシスは返答のないシャルを半ば強引に引っ張るようにして歩き出す。
 礼拝堂までは、まだかなりの距離がある。
 今、この場をどうにかできるのは、カシスだけだ。
「…………」
 頭に思い描く、普段の学院の地図だけを頼りに、慎重に歩を進めてゆく。
「そういえば、シャル」
「ん?」
「シャル、礼拝堂に行ったほうがいいって言う話は、"予感"?」
「いや、この学院に来るのは初めてだが、かなり大きいだろう。この中で、約束も無しに騒ぎにならず合流できる地点は一つしかない」
「…………結局、親玉を倒すしかないわけね」
「カシス」
「ん?」
「ここまで連れてきてもらって言うのもなんですが、危なくなったら逃げてくださいね」
「……どういう」
 シャルが、カシスが言おうとした意味を手で制した。

 目の前の暗がりに一つ。
 さらに影を落としたような黒いカタマリが立ちはだかっていた。

「護衛騎士……ですか」
 シャルのコトバに、その黒いカタマリは何も言わず、ただ廊下の中央にたたずんでいた。
「な……なによ、コイツ」
「司教には必ず一人、司教自らが選ぶ護衛騎士というものがいるんです。剣を握れない司教の代わりに剣となり盾となる……それが護衛騎士」
『………へぇ?』
 暗闇の中に光る二つの目が、ゆっくりと動いた。
『俺の素性を一度で見破るとは………アンタ、誰だ?』
「あまりにも外がうるさすぎておちおち夕餉も取れない一般市民ですよ。ここの司教さんに文句を言いに来たんです」
 さらりと、冗談で返すシャル。
「ちょ、ちょっと、冗談言ってる場合?」
「まぁ、今のうちだけですよ……それよりカシス、少し離れていてください。相手が何をしてくるか、わかりませんからね」
 カシスからは見えないが、ローブの中で、シャルは何かしたようだった。
 着替えの時に何を持ってきたのか見ていなかったから、カシスにはシャルがどんな得物を持っているのか見当が付かない。
『笑わせる………キサマなど、小細工なしで………この剣のみで十分だ』
 黒い騎士は、腰に下げていた剣を抜いた。
 鎧とは対照的に磨き上げられた白刃は、カシスたちの遙か後方のカンテラの光でさえ、鮮やかにはじき返す。
「ずいぶんと、一般市民相手に寛大なご配慮ですねぇ」
 いくぶん度の過ぎた敬語から、シャルの怒りが高いことをカシスは悟った。
 たぶん、自分の知らないところに累積した感情がこの黒い騎士に対してさらなる憎悪を燃やしていることは想像に難くない。
『異教に語る言葉もない………我が主に用があるのなら、押しとおれっ!』
 白刃が、シャルめがけて振り下ろされる。
「無論ですッ!」
 シャルは落ちてきた剣先をかろうじてはずすと、ローブの中から飛び出した短刀で切り返す。
『ッ!』
 騎士は身をよじって直撃を避けると、端を掠めた甲冑が一度だけ蒼く炎を散らした。
 直撃で甲冑の中に刃が届いていたら、間違いなくその魔法の刃で中から焼かれていただろう。
「ただの一般市民とて、異常事態には対処しますよ?」
 不敵な笑い。
 刹那、黒い騎士がまとっていた雰囲気が一種毒々しいものに変貌する。

「シャルッ!」

「………とりあえず、コイツだけ倒しておけば、後は物理的な力で司教以外の雑魚は対処できる、ということになります。少し、我慢していてください」
「でも………」
『………』
 黒い騎士が、無言のまま剣を縦に構えた。
 シャルもそれにあわせて、二本の短刀をローブの外で、前後に構える。

 一拍後。

「はああぁ!」
 今度はシャルが仕掛けた。
 小回りの利く魔法の短刀が暗闇の中、蒼い炎を撒き散らすようにして虚空を描く。
「くっ」
 金属音が数回。全てに明るい程の蒼白い火花が散り、騎士は力で剣を振り、シャルは技を以って受け流し、隙を突いてゆく。
 幾分シャルに習った武術があるにしても、カシスがこの二人の戦いには割り込む余地はない。ただじっと、その戦いを傍観するのみだ。
「シャル…………」

 まともに受けた剣の衝撃をやり過ごすために、後方へ一回転。軽業のようにローブを翻し、着地と同時に構えにはいる。
『おおおおおおっ!』
 その転瞬には、黒い騎士の剣の間合いが、シャルをとらえていた。
「ッ!」
「シャルッッ!」

 ガギィイイインッ!

 火花ではなく、蒼い炎が二人の間に燃え上がった。
 とっさに二つの短刀を交差させたその間に、黒い騎士の剣が打ち込まれていた。
「くぅっ………さすがに騎士だけあって、馬鹿力ですねぇ………」
 荒く息をついたシャルが、黒い騎士の黒い面からみえる目を見据えた。
『…………おおおおっ!』
 拮抗した三つの剣が、徐々にシャルに向けて押されてゆく。
 間合いを取るために後退しようにも、騎士の剣の重さと威力が、それを許さない。
「シャルッ!」

 その時だった。

 カシスは背後、それもすぐ近くに明らかな気配を感じ取った。
「ッ!」
 振り向いた先。
 見覚えのある青年が、白い法衣をまとって、すぐそこに立っていた。
「え………貴方は」
「やあ、間に合ったみたいだね」
 青年は、それはもう不気味なまでににっこりと笑うと。カシスの肩をつかんだ。
「あの、神力の人………」
 場違いにあらわれたその青年に戸惑う前に、切羽詰っていた背後から声が飛んだ。

「カシスッ!そいつから離れろッ!」

「シャル………?」
「いいか、そいつが……!」
「ははっ………そうだよ、シャル君?」
 カシスのセリフを引用した青年は、シャルに微笑みかける。
 剣をなんとか、再び拮抗させながら、シャルはその微笑に声を荒げる。
「そいつがこいつの主だッ!」
「へっ?」
 カシスが、人称を聞き返すまもなく。
 肩に置かれていた手が力を持って、青年が彼女を後ろから抱くような形になる。
「いや、思わぬところに転がり込んだね。お嬢さん」
「い……やッ、やだ!離してッ!こらっ、離せって!」
 ありったけの力を込めてもがいてみるも、その青年はまるで微動だにしない。
「いい声で啼く………ほら、そこで動けないシャル君にも聞こえるように啼いてごらん?……世界を終わらせる、最後の声だ」
「………え?」
 青年の狂ったような笑いに、カシスはいったん動きを止めた。

「カシス!」

 場の狂いに同調するように、叫ぶシャル。
 青年が、カシスを抱えたまま手をかざした。
「シャル君、君には罰を与えないとね………」
「なっ、やめっ、やめろっ!やめてぇッ!シャルに手、出さないで!」
 再び腕の中でもがくカシスを尻目に、青年とカシスの姿が、徐々に輪郭を、実体を失ってゆく。
「待ちなさいっ!」
『………罰として、彼女に本当の"神話"を、知ってもらうことにしよう』
『シャルッ、シャルウウゥッ!』

 廊下に傷跡のような叫び声を残して、二人の姿が消えた。

「くそっ!」
『余所見を、していてよかったのか?』
 二本の短刀の刃が、もう既に自分の頭上近くまでやってきていた。元来戦闘向きじゃない腕も既に長時間の拮抗で悲鳴を上げている。
「……………」
 シャルは、一度目を閉じた後、覚悟を決めた。




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