「My Owner is Excellent!!」
著者:創作集団NoNames



第六章

   −1−

「はあっ!」
 向かってきた主婦らしきおばさんのみぞおちに、拳打を叩き込んでふっとばす。
「か、はっ」
 うめき声を本能的に上げるだけで、主婦は吹っ飛んだあと壁際によりかかるようにして意識を失った。
 主婦が持っていたフライパンがぐわんぐわん石畳の上に鳴り、その間にも、他の町人がナッツへ向けて間合いを詰めてくる。
「くっ………キリがない」
 動きがそれなりに緩慢なのが救いだったが、こちらは致命傷を負わせてはならない上、数が一人だ。
 体力には相応の自信があったナッツだったが、これは無謀の領域だ。
 走りながら見つけた階段を登り、最上段で振り向く。
「おっしゃ、来いッ!」
 向かってきた初老の男性を背負い投げ、その隙にナイフを刺してきた女子高生を足払いで崩して同じように男性の横に叩きつける。
「ひゅっ……か……はっ……ふぅッ……」
 叩きつけられた衝撃で肺が一瞬呼吸を怠って、女子高生が激しく咳き込んで意識を失う。
 だが、そんなのを心配するわけにもいかない。次々に向かってくる敵と呼べない者達を、背負い投げ、またはそのまま階下へ叩き落す。

 怒号のように、階下から押し寄せる民衆の声。

 まだ一対一で戦えるものの、残りを一人で対処できるだけの力はもはや存在しない。
「くそ!」
 足元へ突き出された鍬を踏みつけて固定し、抜こうとするヒゲ面の親父の顔面をけり倒して階下へ押し戻す。
「はぁ……はぁ……」
 落ちた瞬間が、誰も襲ってこない瞬間。
 次の瞬間にはまた誰かがやってくる。

 そう思って、一瞬油断した。

 腰に強い衝撃が走って、ナッツは顔をしかめながらも向かってくる男の間から、黒い装束がナイフを構えているのを見つけた。
「教団………」
 分銅付きの鎖鎌を構える男の攻撃をかわし、腹に一撃、二撃。
「ぐ、ほぉっ………」
 二つに折れて、下がって来た顔に、三撃目の回し蹴り。
 鈍い音がして、男が崩れ落ちた。
「ッ!」
 男が消し飛んだ後、腰に突き刺さったナイフを抜きさって、ナッツは走りだした。
 そしてその間から、二つ目のナイフがナッツのいたところを正確に射抜いて壁に弾かれる。
 今度はかわしたものの、これだけの数の上に正確に狙ってくる男がいるのは厄介だ。
「ベルランスよ………我らに血と肉とを授けたまえし我らが主よ、ご加護をッ!」
 走る背中に、三本目の刃が突き刺さった。
 衝撃と痛みで、ナッツは前にのめったまま倒れこんだ。
 逃げなくてはならないという本能は強烈に残っていたが一度止まったモノを動かすだけの体力が、もう残っていない。
「かっ」
 それでもなんとか、即座に反転して立ち上がる。
 脆い紙の様な大群が、暗い廊下をゆらりゆらりとまるで陽炎のようにして向かってくる。
 その群衆の間から、黒い装束が一人、こちらをにらんでいる。

「神よ…………」

 祈り。
 人の避けられぬ運命を、死と不幸という試練を救うためのものではない。
 だが、人は祈る。
 自らの保身と、エゴと、譲れない何かをカンチガイしながら。

 願いなら、人の望むものならば叶うやも知れぬのに。


 群集の最前列の男が、いきなり倒れた。
「………?」
 続いて、前列といわず、群集のいたるところから、苦しみだす声が聞こえ、次々に倒れてゆく。
「なっ…………?」
 奇跡か?
 ………ナッツはただ呆然としたまま、それを眺めていることしか出来なかった。
 二、三十人はいたかというその軍勢はまたたくまに、隠れていた黒い装束を残して全員が死んだように倒れてしまったのだ。
「な、何をした、貴様ッ!」
 あわてた黒い装束が、ナイフを構えて叫ぶ。
 どうやら典型的な小物のようだが、こちらの状況を考えると余裕とは程遠い。
 腰の痛みをこらえて、ナッツはどうにか切り出した。
「どうやら………術が解けたようだな」
「なっ、馬鹿な………」
「そうだよな、術が解けたって言うことは、この状態じゃ親玉が死んだ………」
「バカなッ!そんなことが、そんなことが合ってたまるかッ!」
「まぁ、この学校に入ったのは俺一人じゃなかったシナ………これでアンゴスチュラ教もまた弱体化か」
「ふざけるナッ!それもこれも貴様らベルランスの民が………我らを迫害したからであろう!」
「おいおい、腹いせに世界を海に沈めようとしたお馬鹿さんの言えるせりふじゃねえぜ」
「黙れッ!我らが主を侮辱するな」
 男が、激昂したままナイフを振りかぶって突進してきた。
 案の定。
 怒りは、動きを一本化させる。
 放たれた連撃の五つ目で、ナッツは腰に刺さっていたナイフで男の右手のナイフを叩き落し、間髪いれずに驚いた男の胸にナイフを突き刺した。
「ガッ!」
 せめてもと繰り出した最後の一撃をもナッツにかわされて、男は口から血と泡を吹いたまま、倒れこんだ。
「じゃあな………来世も、アンゴスチュラやんだろ?まぁがんばれや」
 しばらく痙攣した後、男は静かに動かなくなった。
 ナッツはその横の壁にもたれ、大きく息をついた。
「………ひとまず囮は終わりか」
 本当に偶然のタイミングで、教会で開放された地脈の流れをおそらくベルランスの御子かそれに近い誰かが術を封じて、引き戻してくれたのだろう。
 ただ、問題はこれからだ。
「………頼むよ、シャルトリューズ先生」
 低い窓から差し込む月の光に照らされながら、ナッツは死体を前に一人ごちた。




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