「菜の花畑に」
著者:創作集団NoNames



 第一章・深遠の眠り姫

   −1−

 まだ春になりきらない冷たく強い風に少々伸び切った髪を泳がせながら、啓はふと気づいて頭を上げた。
 冷たい風で霞む視界に、何かがぼんやりと寝そべっているのが見て取れた。
「またか」
 啓は呟き交じりに立ち上がった。春先だと言うのもそうかも知れないが麦わら帽子と軍手は、はたから見ると少々彼のイメージとはかけ離れた印象を受ける。
 また、誰かあそこで寝ている。
 たったそれだけのことだが、啓にとっては重要な問題だった。
 そして、視界がはっきりするにつれ、啓の怒りは頂点に達した。
「進平ッ!!」
 目の前の「何か」に向けて啓は放った。
 学ランを着た「何か」はそれこそ春のようにゆっくりと敷いたのであろうシートから半身を起こして啓のほうを見つめた。
 やがて、
「おーっ、啓かァ。やっほー!」
 相手はのんきな笑顔で手を振った。
 一瞬振り替えそうかと思った啓だが、そんな状態ではないことに気づいてずかずかと一気に歩み寄った。
「っざけんじゃねェ!そこに寝るなっつったろうが!!」
「おーっ、こえー、ぶたないでー!」
 笑ってばっかで怖がってねえだろうが。
 おちょくられたような気がして、啓はさらにまくしたてた。
「お前なぁ、何度言ったら分かるんだ。ここは園芸部の農業用の敷地なんだから、昼寝ならもっと別の所でしろ!」
 啓の目の前に対峙した男、岡本進平は軽く「困ったなぁ」と呟いて頭を掻くと、また元のにへら顔に戻った。
「…………」
 高校入学してからの一年間、同級生だったと言えど、彼のこの行為対する我慢は限界に近かった。
 少しクセのついた髪でいくら後の髪が伸びても前髪は目にかからず、眠そうな瞳は常に相手のどうでもいいようなところを見抜く。ボケかツッコミと言われると、啓ははっきりツッコミと答えるだろう性格の持ち主。
 女子からは面倒くさがりやだが思いやりのある大らかな所が多少人気らしく、着実に票を伸ばしつつあるらしい。
 曰く、他人から見れば決して悪い奴ではなく、むしろイイ奴だ。
 啓もただ一つのことさえ覗けば、類希なツッコミ専門の友達として長くつきあっていっただろう。
 ただ一つ、園芸部の活動所有地にシートをひいての昼寝さえ止めてもらえれば。
「…………」
 辟易した様子で進平を見つめる啓に進平はあいも変わらず笑顔だ。
 悪びれている様子は全然なさそうな、憎らしい笑顔だった。
 啓は、年の割に随分疲れた溜め息を一つ吐くと呆れたような物言いで言った。
「ったく、なんでここで寝るかなぁ?」
「ここが一番暖かい御日様があたるのでね。少しばかり拝借させてもらっているんだよ」
 余裕綽々と言った風な笑顔が、妙に啓の癇に障る。
「一番太陽に近いのは学校の屋上だろ。屋上行けばいいじゃねえか」
「あそこは冷たいよ。夕焼けと星空鑑賞には向いているけど、日に当たる場所じゃあない。ましてや、あんなところで昼寝なんてできやしないさ」
 進平のセリフは何を言っているのか、少々啓の理解を飛んでいた。
「………だからってここを使っていいって言う理由にはなってないんだからな!」
「やっぱ、ダメか」
 ぺろりと舌を出し、彼はシートの上に立ち上がった。
「それじゃ、退散しますかね」
「おう、ぜひそうしてくれたまえ」
「権力の前に人は無力だねェ」
 妙に感慨深げなことを吐きやがる。しかもオレが悪者かよ。
 啓が再びおちょくられてるのかと自問している間に、シートを奇跡の早技で畳み終えた進平が再びにへら顔で啓を一度見てから、ゆっくりと背を向けた。
「それじゃ、また来るよ」
「もう二度とくんな。塩まくぞ、塩」
「塩まいたらお花さん育たないかもよ?」
「お前がいたら、種も植えられねえよ」
「そりゃあ、ごもっともですな。先生」
「………てめェ!」
 詰まるところ、おちょくって楽しんでるんだろう。
 遠ざかる進平の後ろ姿を見ながら、啓は勝手な確信にいたった。




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