「菜の花畑に」
著者:創作集団NoNames



   −3−

 睦葉の家は、当然のことながら啓の家の近所である。
 白塗りで屋根は黒、と言う何の変哲もない現代風の家だった。
 これは啓や睦葉が生まれたときから、変わらない貴重な風景の一つだった。家の外壁にいたずらをしたりしたが、そんな壁の消し切れなかった落書きの後もうっすらとだが壁に刻まれている。
 玄関先でインターホンを押すと、返事が帰る前にドアが開いた。
 四十代半ばとは思えない、若い女の顔が覗く。
「いらっしゃい。でも睦葉、今寝てるのよ」
「構いません。少しでいいんです、会わせてもらえませんか?」
「まあ、寝顔見られるの嫌がるけど、自業自得ね」
 少し意地の悪い笑みを浮かべると睦葉の母親はまるで自分の子供を迎え入れるように、啓を睦葉の部屋へ連れていった。
「風邪がうつるかも知れないから、あまり長居はしちゃダメよ」
「はい」
 適当な返事を返すと、睦葉の母親は啓を睦葉の部屋に通すと、何も言わずに下へ降りていった。
 彼女の行動と多少散らかった部屋で啓は何が起こったのかを察した。
 ドアをゆっくりと閉めて、啓は睦葉が起き上がるのを待つ。
「いいのか、『風邪気味』なのに」
「いいのよ」
 寝ているはずの睦葉が、ゆっくりと寝返りをうってこちらを振り向いた。
 その目は、哀しげなほどにこちらに悲痛な旨を訴えている。
「あれから随分経ったのね。髪の伸び具合がひどい、ひどい」
 そういって苦笑いする睦葉を、啓は黙殺した。
「睦葉」
「ん?」
 睦葉は、小悪魔的な笑みを浮かべて啓に対峙した。
「………オレの言いたいことは分かるよな?」
「分かってるよ。どうせ他人から見れば私は原因不明の植物状態に陥った不幸な少女、啓はそのいたたまれない少女をいつまでも見守り、話し続ける変人。この構図に何か不都合があって?」
 変人という言葉に多少反応したものの、啓は負けずに言い返した。
「お前の母さんが毎日何をしているのか、お前は知らないわけじゃないんだろう?」
「そうね、顔は見れないけど、相当やつれているんでしょうね。可哀想に」
 ふてくされたような、他人事のようなセリフに啓は激昂した。やつれ、眠り続けている娘を認めずに今日は風邪で寝込んでいると思い込んでいる実の母親に、そのセリフはないだろう。
 かといって仮にも病人の、しかも女の子の胸倉をつかむわけにもいかず、ただ奥歯を噛み締めた。
「そういって学校にも来ないつもりだろう?」
「ええ、そうね。もう留年は確実でしょうし。こうして病人面しているほうが気楽でいいわ。他人の意識にも多少干渉できるようにはなってきたしね。啓を伝にして大体の情報は仕入れてるから心配いらないわよ」
 オレは体の良い働きアリか?
 来なければ良かったと後悔する前に、睦葉が何かに気づいた。
「あら?このスケッチブック………」
 「この」と形容されてはいるが、おそらく啓の記憶の中にぱっと浮かんだあの園芸部の部室にあった代物だろう。
「知ってるのか?」
「さぁ、見たことはあるんだけど………あぁ、思い出せない。誰のだっけかなぁ?」
 喉まで出かかっている様子で、煮え切らない顔の睦葉が唸った。
「寝ている時間はたっぷりあるんだから、ゆっくり思い出せよ」
 皮肉を込めて啓が言うと、恨みがましい視線が帰ってきた。
「あ、そ。せっかくアンタが探してるモノ、見つかりそうなのにね」
「本当か?」
「でも、そう言う態度取るならいいよ、別に。ずっと見当違いの方向、探してれば?」
「もったいぶるな。お前だってオレという媒体がなければ現実世界で目覚めることができなければ、外界と接触すらできない癖に」
 かっ、と暗い部屋の中でも分かるくらい、彼女の顔が豹変した。
「言ったわね!いったい誰のせいでこんな身体になったとおもってんのよ!!」
「お前の好奇心の代償だろう。勝手にオレのせいにして被害者ぶるな」
「………ッ!」
 押し負けたような顔になり、睦葉が視線を反らした。
「さあ、次のヒントを教えろ。でなければ、二度とこの部屋には立ち入らないと約束しようじゃないか」
「………分かったわよ。次のヒントは多分、月に関することね。場所から三日月が見えたわ。空の回りには何もなかったから、おそらく高台か広いところね」
「高台か、広いところ…………」
 啓の頭で思案が巡る前に、睦葉がずずいと顔を前に寄せた。
 条件反射で、啓が自分の頭を後ろに反らす。
「なにしてるのよ」
「いきなり顔を近づけるなよ。慌てただろうが」
「いいじゃない。動けるのはこうして啓がこうして近くにいる間なんだし。一気に植物状態にさせなかった『恩人』の顔をこうしてみておこうかと思ってね」
「それは嫌みか?」
「どうでしょうねぇ。どんなに凄み利かせたところでどっちもたかが16歳の子供なんだから、仲良くおいしい汁を吸いあったほうが合理的ってもんよ」
「バカに悟ったような発言だな。こっちは圧倒的に不利だってのに」
 啓が負け惜しみの笑いを浮かべると、睦葉がさらに顔を寄せる。
 その積極性に困惑する前に、啓は彼女が発する「続いて行く孤独」を切実に感じ取った。
「利益だけじゃ、人は動かないのよ」
 悟り切ったような笑みを浮かべて、睦葉の唇が啓の唇に軽く振れた。




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