「利用した者、させた者」
著者:創作集団NoNames



    第一章 罠(トラップ)

   −1−

 翌日、耕二は8時に目を覚ました。
 昨夜少し遅くまで考え事をしていたせいか、軽い頭痛に襲われた。そして5分くらい敷布団の上で座り込むと、ようやく顔を洗うために洗面所へと向かった。
「8時7分か…。」
 自分の腕時計を見て、声に出して読み上げた。最もそれが2分ほど遅れている事も自分ではわかっていたが。
 少しずつ頭が働き始めるようになると、これからの予定が回想される。
 昨夜も考えていたのだが、靖子との約束を守るため、そしてその第一歩として鯉墨幸太郎に会ってみようと思う。彼がどんな男なのかこ
の目で確かめなければ何も始まらない。
 耕二は固く心に誓っていた。
 今日の耕二は予定としてはこのようになっていた。まず、靖子に再び会い幸太郎の連絡先を聞く。向こうの出方次第では彼の家まで会いに行く覚悟もある。そしてそれから幸太郎に会いに行き彼がどんな人物か確かめる。
 簡単な支度をすませて、早速耕二は靖子に連絡を取ろうと携帯電話を手にした。
 昨日別れ際に彼女の携帯の番号を聞いておいたのですでに連絡先は確認済みだ。確か彼女は今、お水の仕事をしていると言っていたので、昼間は予定が空いているはずだ。
 そんな予想を頭の片隅に浮かべながら耕二は早速行動にでた。
 何故か少し緊張しながらも電話をかけてみると3コールくらい聞こえた後、予想どうりの声が耕二の耳に飛び込んできた。
「も、もしもし、俺だけど……」
 やはり理由はわからないが、耕二は少し戸惑っていた。
「耕二君?」
 その後、二人は簡単な待ち合わせを済ませるとすぐに電話を切り、お互いの家を出た。
 耕二はここに来てなおこれからのことに対する不安を胸に抱きながら、待ち合わせの場所へと向かっていった。

 午前十時三十分
 耕二は昨日靖子と二人で入った喫茶店に一足早く到着した。待ち合わせの時間ぴったりについたのだが、彼女はまだ来ていないらしい。
 彼女は間もなく現れるだろう。耕二は今までにない不安と緊張に襲われた。
 そしてその4分後。
「耕二君お待たせ。」
 ふいに聞こえた声に耕二が思わず顔を上げると、そこには靖子がいた。
 黒い髪をふわりと浮かせて、涼しげな水玉模様のシャツを着ていた。数分ばかり遅れたせいか、駆け足で耕二のほうに近づきながら靖子は小さな微笑みを見せた。
 その時だった。
 耕二はふと言葉にならない違和感が背中をなでる様に駆け抜けていくのを覚えた。それは、その場の空気中に存在する者、あるいは喫茶店内の誰か他の人物、そのどちらに対するものでもない。耕二にははっきりとわかった。
 「彼女に対する」ものだった。
 靖子には昨日会ったばかりだ。でも何かが違う。昨日の靖子とは目で見えない何かが違うのを耕二は肌で感じたのだ。
 しかし、何より気になる点がもう一つあった。
 今日の靖子は、どこか懐かしい感じがするのだ。遠い過去にも感じていたような懐かしい感じが……。
「耕二君?」
靖子の声で耕二は我にかえった。
「どうかしたの?」
「いや、何でもないよ。」
 彼女の声を聞くとさっきまでの妙な違和感は次第に薄れてゆき昨日と何一つ変わりのない感覚を取り戻し始めた。
 耕二は、少し混乱しながらも、「気のせいだ」と自分に言い聞かせた。
「昨日の話だけどさ、やっぱこのままじゃ良くないと思う。」
 耕二は彼女の目を強い眼差しで見つめ、早速と言わんばかりに本題に入った。
「うん……。それは私もわかってるけど。でもどうすれば良いか……。」
「俺その鯉墨幸太郎さんに会って来ようと思うんだ。ほら、その人の真意がわからない以上話は先には進まないだろ?靖子さんの代わりに俺が彼に話を聞いてくるよ。」
 靖子は思わず目を大きく開いて耕二を見た。彼女にとっては予想外の返答だったようだ。
「ほ、本気なの?何で私なんかの為にそこまで……」
「力になるって約束したからさ。」
 靖子の言葉を途中で遮るように耕二が言った。
「幼馴染じゃないか。放っておけないだろ?とりあえず鯉墨さんの連絡先おしえてくれるかな。」
 靖子はすっかりうつむいていた。その顔には笑顔はない。耕二の優しさは嬉しいのだが、さすがに申し訳なく思う気持ちがあるようだ。それとやはり再開したばかりの幼馴染にこんな姿を後ろめたいという気持ちもあるのだろう。
「ありがとう耕二君。……変わってないわね。」
 靖子は静かにハンドバッグを開いた。その中から一枚の名刺を取り出し、耕二の方へと指し出した。勿論、その名刺には「鯉墨幸太郎」と書かれている。
「よし、じゃあ俺早速行ってみるから。今日はこれで失礼するよ。」
 耕二はそう言うと立上がり、テーブルの上に二人分のコーヒー代を置いて靖子の前を去っていった。
 その後姿を見つめながら、靖子は静かに顔を上げた。
「ごめんなさい……耕二君。あなたとはこんな形で会いたくはなかった……。」
 靖子は目を閉じ静かに言った。その時……。
  ビイイイン。
 携帯のバイブの音が鳴り響いた。靖子はハンドバッグから携帯電話を取り出し、液晶画面に表示された名前を確認すると、その瞬間に顔つきを変えた。
「もしもし……私です。」
 さっきまで耕二と向き合って座っていた女とはまるで別人であるかの様な冷たい口調だった。
「何度お電話頂いても貴方とお話しする事などありません。……私のお腹の中に彼との子供などいませんから……はい。では失礼します……衆議院議員の鯉墨潤一郎さん。」
   ピッ。
 靖子は一方的に電話を切った。
 憎しみをこめた様な眼差しで、遠く窓の外を睨みつけながら……。




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