「利用した者、させた者」
著者:創作集団NoNames



 第七章・誰もが誰も

−1‐1−

「………」
 曇り始めていたから予想はしていたがどうやら外は、雨が降り出したらしい。
 靖子は窓をたたきつけ始めた雨粒を見やったあと、覚悟したように正面を向いた。
 目の前には、何もかもが半信半疑で不安になっている幸太郎の姿がある。
「……どういうことか説明してくれ」
「津島さんの言ったとおりよ」
 やっぱりまた目を伏せて、幸太郎を避けるように靖子はつぶやいた。
「じゃあ………やっぱり」
 落胆の表情がますます大きくなる。
 その表情を見るのが、靖子にとってたまらなく嫌だった。元はといえば自らの蒔いた種だったが、それだけに逃れられない事実が靖子の頭を重くする。
「なんで……こんなことに」
 うめくような幸太郎の声に、何も言えなくなる。
 なぜ、こんなにも胸が痛い?
 これは、いつも通りの依頼の一つに過ぎなかったのに。
「…………ばれちゃったら、仕方ないか」
 軽く、渇いた笑いが靖子の口から漏れた。
 幸太郎はそれを開き直りととったのか、軽く溜め息を吐いた。
 互いにいづらい空間なのは百も承知だったが、やるべきことはやっておかなければならない。
「最初から、僕を騙すつもりで僕に近づいたんだろ」
「津島理沙の命令でね。幸太郎をなんとかしてほしいって言うだけだったし、割も良かったから、引き受けたのよ。ちょうどお水の仕事もしてたし、幸太郎のお付の人にちょこっと手伝ってもらって、私の勤めてた店に来てもらったわけ」
「そこまで出会いは計算済み、というわけか。なんだか遠藤耕二をハメた時のようだな」
 幸太郎は彼女とは対照的に皮肉めいた笑みを浮かべた。
「それから後は簡単だった。あなた優しいから………ころっと騙されてくれちゃった。ねえ、幸太郎。あれから五カ月も経つのに、お腹出てないの、おかしいと思わない?」
 小悪魔的にくすくす笑う靖子も、心中は穏やかではなかった。
 騙し通せる自信があったわけじゃないけど、本当なら、ずっと騙されていてほしかった。いつかこの時期が思い出になって、本当の意味で時間が過去になったら、打ち明けてもダメージにはならなかったのかも知れない。
「…………」
 しかし、目の前には真実を知った彼が座っていた。
 彼は自分の元から去るだろう。だが、彼を引き留めるだけの理由は自分にはもうない。
「……これで、私たちの関係もおしまい」

 いつから、本気だったんだろう。
 この胸を締め付ける思いが自分をさいなむ罪悪感に変わったのはいつだろう。
 なきたくても、涙が出ないはずなのに。

 なぜか、靖子は泣かないように歯を食いしばっていた。
「…………愛してないなら、なんで泣くんだよ」
 幸太郎は、敢えて靖子を見ずに言った。
「靖子。最後に、聞かせて」
「……………」
「今も、僕のことは、ただのターゲット?」
「……………」
 靖子は沈黙の後、大きく頭を縦に振った。
「…………そうよ。あなたは津島理沙に頼まれて、ただ彼女との中を引き裂くように言われただけの、対象にすぎない」
「………そう」
 幸太郎は、聞こえるか聞こえない彼の声でぽつりというと、ゆっくりと立ち上がった。
「分かった。君がそういうなら、そういうことなんだろう」
 まっすぐに靖子を見る顔には、もはや気力が微塵もない。
 ただ、穏やかに笑う顔は今にも崩れ落ちそうなほどだった。
 靖子も、何も言い返さずにその彼を見つめ返す。
「それじゃ…………」
 幸太郎が何かを言いかけた時だった。

 全てを打ち壊す内容を含んだ電話の音が、部屋の中に鳴り響いた。

   −1‐2−

 耕二は相手の電話番号をプッシュし終えると、夏になりかけた町並みを歩道橋の上から見下ろした。
「…………」
 相手はためらっているのか、それとも気づいていないのか、なかなか電話には出ようとはしない。
 コールが三十を超えたあたりで、ようやく相手が競り折れて、少し怒り気味の高い声がした。
「しつこいわね」
 放たれた第一声がまさにそれだった。少し耳に痛かったが、耕二はそれには敢えて反応しなかった。
「前に言っておいた取引の話だが、金は用意できたのか?」
 無反応を装いながら、あくまで事務的に耕二は話を進めた。
 多少沈黙があって、理沙が息を呑む音が聞こえる。
「どうなんだ?」
「あるわ」
「…………いくら用意した」
「一千万」
「少ないな」
「でも、あなたなんかに渡す金はないわ」
 耕二は声も表情も豹変させた。
「なんだと?」
「あなた、『利用する者』って知ってる?」
「っ!まさかおまえのところに」
「彼に操られてるふりをしておきながら、実はあなたが首謀だったなんてね。パパの会社からハッキングして情報を盗み出して……靖子のためという大義名分を掲げながらここまで……」
「違うっ!」
 張り上げた声で、歩道橋にいるすべての目がこちらを向いた。耕二は慌てながら、小声で返す。
「違う、ヤツのいっていることはでたらめだ。ヤツを信じるなっ!」
「私はあなたのコトも信用しているなんてコトはないのよ?人を脅しておいて、自分を信じろなんて自分に都合がよろしいんじゃないの?」
「……………」
 耕二は歯噛みした。
「ちなみにあなたが出版社のほうへ送るつもりなら、それは全て利用する者が消すみたいだから、あなたにその利用価値はないわ。それに、その利用価値がなかったら、あなたは後ろ楯が無くなるわね」
「……………」
「観念なさい。もはやあなたに利用価値はないのだから………どうなろうと私の知ったことではないけれど」
「待て、少しは俺の話を………」
 言い終わらないうちに、電話が切れた。
「くそっ!」
 力任せに地面に叩き付けた携帯は、真っ二つにおれて歩道橋の隅のほうへ転がった。耕二は携帯をそのままにすると、歩道橋を後にした。

   −1‐3−

「ええ、それじゃ、九時にあの最近出来たケシゴム工場でお会いしましょう。あそこなら邪魔が入りませんから。鍵、開けときますんで、勝手に入ってください」
 そこまで言うと、『利用する者』は最後の電話を切った。
 携帯を胸に握り締めて、一度大きく淀んだ空気を吐き出す。
「はぁ…………あ」
 これで全部終わった。
 そう思うだけで、肩がすっと軽くなったような気がした。

 全ての元凶となった耕二がよりどころをなくして潰れるまでに、そう時間はかからない。敵対表明をしてしまったから津島側についていた組織は使えないが、あのままでは自滅するだろう。それまでに、周りが彼に余計な手出しをするのを阻止すればいいのだ。
 理沙は自分を配下につけたと思っているから、動かないままだろう。そして、靖子と幸太郎については脅すネタが準備できている。
 今の電話で呼び出したから、それをちらつかせれば、破滅して行く耕二には近づいたりしないだろう。

 これで、全てのゲームは終わりだ。
 利用する者は携帯を近くにあったゴミ箱へ二つ折りにして放り込むと、懐からもう一つ傷だらけの携帯を取り出した。
「はい」
 通話ボタンを押すと、聞きなれた声が入ってくる。
「なんだ、トモヤか。うん……今から?ちと無理だな。これから俺はお仕事だ。お前は体大事にしないとこっから夏バテちまうぞ。後、お前病院の公衆電話からかけてんなら電話代かさむだろ。ほどほどにしとけ………った、アイツ途中で切りやがった」
 携帯を顔をあわせて、利用する者はうなった。
「まあ、なんにせよ後少しだよ」
 その顔に、ここまで来たら何者への不安もなかった。




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