「利用した者、させた者」
著者:創作集団NoNames



 終 章・利用した者、させた者

    −1−

 夜明けの空が、徹夜明けの目に痛い。
 明け方の工場街に、幸太郎のタバコの煙だけがゆらゆらと白く霞んで立ち上っていた。
「………終わったな」
 沈黙を破るかのように、幸太郎が煙を吐き出しついでに言った。
「ああ」
 耕二はアスファルトに大の字になったまま、上の空といった表情で返した。傍には、理沙が高そうなスーツがしわになるのを気にもせずに壁を背にして寝こけている。
 耕二自身眠気はあったが、物語が終わったという開放感のほうが今のところ強い。
 残る二人も似たような心境だろう。
 おそらく、利用する者とここにいる四人を含む五人は全員「すべての物語を知っている」わけではないらしい。耕二自身にも、意外に空白にしてそのままの時間がある。
 だが、それをいまさら詮索する気は耕二にはなかった。
 この話は、利用する者を追い詰めきることによって終わったのだから。
「でも、逃がしちゃってよかったの。あの人」
 靖子が遠い波間から耕二へと視線を移した。自然と耕二も靖子の方を見る。
「ああ……彼自身、この問題に対して別に何かあったわけじゃないからね。それほど危ない橋は渡ろうとはしないさ。ましてや、今までそれこそノーミスで作り上げた計画を最後の最後で覆されたんだ。しばらくの間は、こちらに近づいたりはしないと思うよ」
「結果として、命も助けたわけだしな」
 幸太郎が、タバコを投げ捨てて踏み潰した。
「今度こそ、本当にこの話は終わり。一応、君達三人について俺は何も言わないつもりだから、本人たちでその後の行く末は決めてくれ。別れるも、またやり直すも三人次第」
 耕二がたしなめるように微笑むと、靖子と幸太郎が困ったように顔を見合わせた。
「…………」
「………とりあえず時間はあるから、ゆっくり決めるよ」
「うん、それがいい」
「理沙さんともね」
「でも、彼女は俺を愛しているわけじゃないからな。男として彼女に対する身の振り方は決めないといけないけど」
 幸太郎は、座っていたさび付いたドラム缶からすっと立ち上がった。
「理沙を、送って帰るよ。そろそろ親父も何か言い出すころだろうからね」
「そうか。うん……それじゃ、もう会うこともないだろうけど」
 耕二が手を上げた。
「本当にありがとう。お前のおかげで色々と助かったよ」
「成り行きだけどね。まぁ、最悪の状態だけは防げてよかったよ」
「あ、そうだ。耕二君。あの書類どうしたの?あのままじゃ出版社の人」
「大丈夫。彼には匿ってもらう理由は別のものにしてあるから。理沙も書類はこちらのほうへ真っ先に持ってきたし、あの資料は二部とも僕の手元にある。帰ったら燃やすよ」
「また、脅されたらかなわないしな」
 幸太郎が笑った。
「そういう時のために、今よりもう少し賢い人間になっておかないと。幸太郎さんがこれか踏み込む世界は、こういう化かし合いの世界なんだろ?」
「……まぁ、君たちが想像しているようななんか腹黒いようなことをしている人は確かにいるけどね」
 幸太郎は苦笑いを浮かべると、寝たままの理沙を抱えあげた。俗にいう「お姫様だっこ」というやつだ。
「靖子さんも、乗って帰る?」
「あ、ううん。私はここから近いから、歩いて帰れるの」
「あ、そっか。この辺だったんだよね、家」
 耕二が半身を起こして相槌を打った。
「それじゃ、本当にありがとう」
「ああ。じゃあな」
 耕二が軽く手を振ると、幸太郎は振り向きもせずに夜明けの工場群から消えていった。
 姿が見えなくなると、靖子が肩をすくめたような息を吐く。
「もう少し、幸太郎って頼りない人だと思ってた」
「この事件でちょっとはたくましくなったんだろ。まぁ、頼りなさみたいなものも多少『演じてた』っぽいような所はあったんだろうけど」
「男って、みんなそうなの?」
「さてね。でも少なくとも、俺はそういう部類の人間かなって思うよ」
 耕二は立ち上がると、そばに転がっていたナップサックの中からナイフを取り出した。
「一応、護身用には持ってたんだ。相手は裏社会の人間だからね、拳銃くらいは持ってるかと思ったけど」
「なにも持ってなかったね」
「ああ」
 そのナイフの鞘を抜いて、切っ先を靖子に合わせる。
「耕二君?」
「やっと、ここまできたよ」
「………え?」
「こっちはまったくの偶然だったよ。いつかひどい目にあわせてやろうかと思っていたけど、まさかこんな偶然が舞い込むなんて思いもしなかった」
 切っ先の光が、耕二の目には心地よかった。
「……耕二君?」
「お前達に復讐できる日がこんなに早くくるとは思ってなかったよ。なぁ、靖子さん」
「ちょ、ちょっと耕二君、ふざけるのもいいかげんに」
「ふざけるだと……?そっちこそ冗談言わないでくれよ」
 ゆらりと、刃先が左右にぶれる。耕二は狂った光を眼に宿しながらその先にある靖子を見据えた。
「おかしいと思わなかったのか?普通の感性の人間なら、まず利用する者なんていう得体の知れない人間に対して戦おうなんて気は起こさないさ。むしろ、逃げるほうをまず考えるのが普通だ。
 なぜ逃げなかったのか、答えは簡単だ。
 俺はお前達に恨みがあって、利用する者を追い詰めるという大義名分の元にこの場所にとどまっていたに過ぎないんだからな!」
「………恨み?」
 靖子が顔をしかめる。
「ああ。俺は利用する者を追い詰めようとして三日間だけ調査する時間を自分で設けた。しかし利用する者は簡単に尻尾を出したりしない。だから別のアプローチで彼に迫ろうとした」
 朝の光を帯びた切っ先が、まばゆく光を反射させた。耕二は鋭い瞳のまま、靖子に一歩近づいた。靖子は、顔面蒼白のまま同じだけ後ろにあとずさる。
「利用する者は動機があって俺たちに近づいているんじゃないかって思ったんだ。だから、三人のことを徹底的に調べたんだ。そうしたら、面白いことがわかった」
「面白い、こと?」
「ああ。まず、離婚したお前の父の忠雄はそのあと事業に成功し、今では大企業の社長になっていて、後妻との間に俺達と同じくらいの年の子供がいるって話だ」
「そ、それって、もしかして」
「ああ、理沙だよ。お前と、理沙は、腹違いの姉妹。しかも、幸太郎の父潤一郎は忠雄の兄だ。つまり、二人にとって潤一郎の息子の幸太郎が従兄弟なんだよ」
「………そんな、それじゃ親族同士で罪の擦り付け合いをしていたってことなの!」
「そういうことだ。すべてはお前の父忠雄の節操がなさ過ぎるのが問題だがな。しかし奴の罪はそれだけにとどまらなかった」
 耕二が、一歩ずつ間合いを詰めてゆく。
 それだけ靖子が後ろに下がるのだが、入り組んだ工場外ではそれにも限界があった。
「俺は小さい頃、親に捨てられた。だから孤児院で暮らしてたんだよ。その院長がな、一つだけ妙なことで俺に怒ってた」
「………まさか、それって」
「お前の祖母がやってた駄菓子屋にだけは近づくなってな。少しでも近づこうものならすごい剣幕で怒られたもんだ。子供心に、恐怖を抱いたね。なんで近づいちゃいけないのか分かりもしなかった」
「……」
「昨年の秋、その孤児院が爆破されてそれと入れ違いぐらいに実の親に関する書類が俺の手元に入ってきた。間違いなくあの節操なしの大馬鹿野郎の血が俺には流れているんだとさ」
「……じゃあ、私達も………?」
「しかも、俺とお前は正真正銘、実の兄妹だ。俺は離婚した親父側に引き取られた挙句、再婚の邪魔になるという理由で捨てられた忌み子だからな。結局、忠雄はそれくらいにしか子供を考えてなかったんだろうよ」
「でも、おばあちゃんそんなこと一言も」
「話せるわけがあるか!捨てられた子供がお前の兄だとな。しかもお前たちは忠雄と離婚してから矢継ぎ早に母親を亡くして二人暮し、自分たちの食い扶持だけで精一杯だ。現状で俺を引き取りたいと思っていたとしても、引き取れるわけがなかった」
「でも!」
「まさか、今まで自分だけが不幸だとか思っていたんじゃないだろうな」
 耕二の言葉に圧されるような感じで、靖子が背を壁に阻まれた。
 耕二はナイフをちらつかせながら、一歩前に進み出た。
「そ、そんなこと、し、知らなかったのよ」
「ああ。そりゃそうだろうな。だが、俺が受けたこの半生の仕打ちの仇はどうしてくれる。誰もおらず、この半生を送ってきた俺はッ!誰にも愛されずに歪んだ俺はどうなるッ!」
「……………」
「……さっき言った、あれは嘘だ」
「あ、………あれって?」
 すくみ、震える足でなんとか立っていながらも、靖子はおびえたまま返した。
「利用する者が言った出版社には持って行ってないが、別の出版社にはもう記事は売ったんだよ。今ごろ、スクープらしい記事になってマスコミが大勢奴らの会社とかに押しかけてるんじゃないのか。奴らも巻き添えだ、これで利用する者も本望だろう」
「なっ、なんてことを!」
「お前が人の心配をしてる余裕があるのか?」
 ナイフの切っ先が、ゆっくりとだが近づいてくる。
 その言葉で、靖子は急に現実に引き戻された。
「俺はもう、どうなってもいいんだよ。この人生に生きる意味がないからな」
「いや…………やめてッ」
 …………。
「いや、やだ………いや………」
 ……………。
「こっちにこないでェッ!!」
 ……………。
 …………。
 ………。
 ……。
 …。
 明け方の空は、いつもどおりの日常を展開しようとする人々の音で埋められた。
 そこから、いつもどおり非日常の姿が消えた。
 港湾を飛び始めたかもめの一団が、高く遠く海へと鳴くのが聞こえる。




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