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目の前の端末の青い画面の真ん中には、黒い文字で『NO DATE』と表示されていた。
いくら待ってもその表示が変わる事はない。
「え、えっと。これは?」
トメのその問いかけに他の二人は答える事が出来なかった。
この手の知識がまったくない三人には、この状態から何をすればいいかわからない。
五分ほどその場で固まっていたそのとき、かなりの年代物と思われる大時計がボーン、ボーンと七時を告げた。
「うお!なんだ?敵か?」
三人は反射的に立ち上がり、周囲を見渡すが部屋の中にはもちろんほかには誰もいない。
「なによ、この時計!人騒がせな!」
罪のない時計を蹴りつけるトメ。すると時計の土台部分が崩れ、正面に立つトメの方へと倒れてきた。
いくら突然の事とはいえ、そんなものをまともにくらうトメではない。軽く時計をかわす。
そして、そのまま時計は―――
『あ・・・』
三人の声が見事にハモった。
時計が倒れたのはPCを乗せていたテーブルの上だった。正確に言えば、テーブルに乗せていたPCの上である。
もう二度と動く事はない、一分前まで時計だったものをどかしてみると、そこには同じく一分前までPCだったものがあった。
その事実を目撃してしまった三人は、またもや固まる事になった。
すこしホコリっぽくなってしまった部屋の中で、最初に復活したのはアルムだった。
「あ、FDは無事かな」
データが消えてしまった以上、あっても意味がないのだが念のため確認してみた。
通常の方法では取り出せそうにないので、PCのカバーを力任せに取り外す。
すると中から目的の四角いディスクが出てきた。
「これは無事じゃ…ないか」
次に復活したヘクトがそれを見て呟いた。
出てきたFDは二つに割れていて、素人目にも再利用は不可能だということがわかった。
「プリントしておいてよかったな」
いまだ硬直しているトメの手から紙を抜き取り、ガラクタをどけたテーブルの上に広げた。
十枚の紙に書かれているのは半角英字と数字のみ。
「……これの意味、わかるかい?」
「いえ、さっぱり」
二人で紙とにらめっこをしていると、やっとトメも復活を果たした。
「はっ。私は一体?って二人とも、何してんの?」
彼女の前には真剣な表情でテーブルを睨みつけている男が二人いた。
状況がわからないので、とりあえずその視線をたどりテーブルを見ると、例の紙が広げてあった。
しばらくそれを眺めてからポツリと呟いた。
「これ、何?」
「お前の曾祖父さんに聞いてくれ」
すかさずヘクトが答えた。
今の質問からすると、トメもこれの意味がわからないようだ。
「せっかくFDの中身が見れても、これじゃどうしようもないわね」
確かにいくら眺めていても意味不明なことには変わりがない。
「あの三人がいれば、すこしは何かわかるかもしれないのに」
トメの言う三人とは、あの仲間たちの事だろう。
研究者だとのことなので、おそらくこの三人よりはずっと頭の回転がいいのだろう。
必要最低限の勉強しかしていないヘクトではわからないことも、わかるかもしれない。
「それじゃ、このままここにいても仕方がない。三人を探しますか」
アルムが紙を束ねて立ち上がった。
「とりあえず、あそこに戻ってみましょう」
そういって紙束をトメに手渡した。
「あそこって、あの隠れ家か?何考えてるんだ?」
慌ててヘクトが問いただす。しかし、アルムは平然と答えた。
「結構時間がたったから、やつらはもう別の所を探しているだろ。もしいたとしても今いるのは見張り程度のはずだ。なら問題ない」
見張りがいるのなら十分問題な気がするが、アルムは淡々と話し続ける。
「もしも軍の人間がいなかったら、あいつらも同じ考えをして戻ってきてるかもしれないし、いても尋問すれば捕まってしまったかどうかわかる。一石二鳥ってヤツだ」
いかにも名案だ、と言いたげな顔だ。
だが、アルムの能力は一度見ている。確かに相手の人数が少なければそれも可能だろう。
「話は終わったみたいね。さ、行きましょう」
会話に加わっていなかったトメが急にしゃべりだした。ひょっとしたら話についてこれなかっただけではないか、とも思ったが、うるさく言われそうなのでヘクトはその意見を心の中にしまいこんだ。
「ま、何とかなるかもな」
そして、三人はあの「らんどまーく」へと出発した。
ヘクトは少し拍子抜けした。
自分は神経をすり減らしながらここまでたどり着いたというのに、この二人はさも当然のように街中を歩いている。
トメ曰く、
「堂々と歩いていれば、案外大丈夫なモンなのよ」
だそうだ。
それにこれもあるしね、と今かけているサングラスを指差す。
夜中にサングラスをかけていたら余計怪しい気がする。アルムにいたってはその髪の事もあって怪しいクスリを売っている人のようだ。
そんな常識的な考えをよそに、本当にあっさりと「らんどまーく」へ到着してしまった。
ビルの周りにも中にも、人影は見えなかった。
「よっし!だいじょうぶみたい」
トメが小さくガッツポーズをして、中へと入っていった。
前回と同じように地下への道を開き、あの階段を下りていく。
あと少しであの隠れ家にたどり着く、というところでヘクトが急に二人を制止した。
「ちょっと待った、誰かがいる」
まるで体中がセンサーになったような気がしてくる。見えなくても中にいる人の気配が伝わってくる。
耳を澄ますと声が聞こえてきた。聞いた事のない声だ。
「三人、じゃない。二人か」
アルムに目配せをする。その意図を受け取ったアルムが静かに壁の前に立った。
そして、ヘクトが入り口を開くのと同時に、アルムが飛び込んだ。
「う、うわぁ?」
中にいたうちの一人がそんな声をあげて・・・。
それが遺言になった。
一瞬にして一人を焼き払い、そしてもう一人の首をつかみ、壁に押し付ける。
「俺の仲間はどこだ?言えば命は助けてやる」
言わなければ殺す、アルムの目がそれを無言で語っていた。
先程までとは違う、『本気の目』で。
「ぐ、あ、あの二人は連れて行ったん、だよ」
「どこに?」
押し付ける力を少しだけ強める。
「お、俺は知らないんだ。本当だ、信じて、くれ」
完全にパニックになっていて、嘘をつく余裕などなさそうに見える。
どうやら下っ端のようで、それ以上の事はわからないらしい。
「知ってる、事はそれだけなんだ。たす、助けてくれ」
ゆっくりと手を離すと、その男は心底ほっとしたような顔をした。
それと反対に、アルムは少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。
「悪い、俺は嘘をついた」
そしてまた、一人の人生に幕を下ろした。
「もう入ってきても大丈夫です」
それを聞いて、ヘクトとトメも中に入ってきた。
「言葉使いがずいぶん違うんだな」
二つの黒い塊を見て、ヘクトが言った。
「本気を出すと、昔の自分に戻るんだ」
そう答えた時の顔が、どこか昔の自分を思い出させる。
そんな気がして、もうこの話を続ける気に離れなかった。
「それにしても、ひどい有り様ね」
周りを見回していたトメがそんな事を言った。
改めて中を見ると、たしかにメチャクチャになっていた。
ヘクトにとって短い付き合いだった椅子やテーブル、それにカレーの残骸などが床に散らばっている。
「とりあえず、部屋の中も確認してみましょ」
そう言ってトメとアルムは自分の部屋へ歩いていった。
確認といわれても、自分には特に私物がないはずだ。
と思ったが、一つだけ持ってきた事を思い出した。最初にFDの中を見たときに印刷した方の紙束だ。
ないよりはあったほうがいいだろう。そう判断して自分の部屋に入り、中を探した。
「お、あったあった。」
枕の下から目的の物を取り出し、ペラペラと枚数を確認する。
「うん、間違いないな」
何枚も重なっている紙を無理やり折りたたみ、服の胸部にあったポケットに突っ込んだ。
部屋を出てみると、トメとアルムが慌てた様子でこちらに向かってきた。
「どうした?何かあったのか?」
「また奴らが来る」
簡潔に答えたトメがヘクトの手を引っ張った。向かう先には壁しかない。
「ちょうど定時連絡の時間だったみたい。見張りからの返事がないから、ここに来た事がばれたっぽいのよ」
説明をしながら壁をペタペタと触っている。
「ここもダメ!隠し扉が開かないようにされてる!」
再びヘクトの手を引っ張っていく。思い切り力が入れられているのでかなり痛いが、そんな事を言っている場合ではない。
「仕方がない。強行突破しますか」
アルムが入り口に手をかける。罠だとわかっていてもそれしかなさそうだ。
扉をスライドさせ、通路に飛びだ……さなかった。
すぐに扉を閉めてそこから離れる。
「今のは煙か?」
アルムの影になりはっきりとは見えなかったが、白いもやのようなものが少しだけ視界に入った。
「いや、アレはガスかな。たぶん睡眠を誘発するものだ」
地下でそんなものを使われたらひとたまりもない。
天井を見ると通気口からも少しずづ侵入してきていた。
「やばいわね。アルム、何とかならないの?」
「と言われましても。普通の道じゃ脱出する前にガスにやられるし、他の道はつぶされてますし…」
さすがにガスが相手ではアルムでもどうしようもない。しかし、このままでは結局捕まってしまう。
「あのトイレのもダメだったのか?」
ヘクトはふと思いついた事を言ってみた。
すると二人は目を丸くして顔を見合わせた。どうやら忘れていたらしい。
「行くだけ行ってみましょう」
早速トイレに入って、例のボタンを押してみるとあの独特のにおいが三人の鼻をついた。
「うっ。これは…」
トメが顔をしかめるが、気にしている余裕はない。
「ほら、いくぞ」
二度目ともなると少しは慣れてくるのだろうか。ヘクトはそこまで気にはならない。
「あう〜」
トメが鼻をつまみながら中に入っていった。アルム、ヘクトもそれに続く。
しばらく進むと、急に周りの明かりが消えた。
ただでさえ、非常灯の薄明かりしかなかったもだが、今や完全な暗闇の世界へと姿を変えた。
その瞬間、何者かがこちらへと近づいてきた。
「っ!待ち伏せか」
ヘクトが勘を頼りに拳をくりだす。するとその右手に生暖かい感触があった。
「ごふっ」
そんな声と共に何かが倒れる音が聞こえた。とりあえず一人は片付けた。
しかし、まだかなりの人数がいる感じがする。まんまと嵌められたらしい。
「暗視ゴーグルでもつけているのか。なら、二人とも。伏せろ!」
アルムが適当な方向に炎の塊を投げつける。伏せたヘクトの頭をかすめ、そのまま延長線上にいた軍人に命中した。
「ぐうああ!」「あう!」「がっ!」
何人かの悲鳴が聞こえる。おそらく最初のは炎を食らったやつ、他は目をやられたものの声だろう。
暗視ゴーグルをつけたものにとってはこの程度の光でも十分目くらましになる。逆にヘクトたちにとってはちょうどいい具合の明かりだ。
「さあ、逃げるぞ」
眼を押さえているやつらを蹴り飛ばし、そのまま走り抜ける。
「やつらを倒さなくていいのか?」
走りながらアルムに問い掛けてみた。
「地下でこれ以上火を使ったら酸欠になるぞ」
なるほど。実に正しい意見だ。
あの一撃必殺の炎による攻撃がない以上、三人で立ち向かうのは自殺行為だ。
「適当な所に隠れてやり過ごしましょう」
時間がたてば、連中も遠くへ逃げたと思う。そうすれば捜索範囲が広くなりにげやすくなるはずだ。そうトメが提案した。
(それはいいけど…)
走りながらヘクトは思う。
(一日に二度もこんなとこ来るなんて)
一人自分の不幸を嘆くヘクトだった。
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[第三章・第三節]