-1-
「イリュージョンショット…」
矢川はごく普通のテイクバックから、ボールを打ち返す。
スパァン!
一見すると、何の変哲もない普通のショットがサイのコートに向かって飛んで来る。
それほどの速度も威力もない。
本来サイならば、フルパワーで打ち返せる程度のショットだ。
しかし…
矢川の放ったイリュージョンショットはサイの目の前で「3つのボール」に分裂する。
「くそっ!またこれか!?」
サイは打ち返す構えに入る。
3つのボールを良く見定め、本物のボールを見極めようとするが…
「右…。真ん中…。左…?」
ギリギリの距離まで3つのボールを見つめるが、どれも完璧なまでに同じ姿をしている。
いくら凝視しても、その中に「本物」と「偽物」があるとはとても思えない。
「ちくしょぉ…」
サイは仕方なくその中の1つを標的にしぼり、テイクバックをとる。
「どうしろってんだよーっ!」
サイが選んだボールは「真ん中」。
そのボールを目掛けて、力強くスイングをする!
「…!?」
しかし、結果は今まで通り…。
「真ん中」のボールはサイのラケットに触れた瞬間に消え、代わりに素通りした「右側」のボールが悠々とサイのコートに突き刺さる。
『ゲーム ウォン バイ 矢川。ゲームカウント 4−4』
審判のコール。
「くそっ…。追いつかれたか…」
試合前半に圧倒的なまでのリードを見せていたサイだが、気が付けばゲームカウントは同点。
矢川の激しい追い上げに苦しめられる展開となってしまった。
「ふふふ…」
矢川は長い前髪の間からコート越しのサイを覗き込み、不敵な笑みを浮かべる。
「秋の区民大会優勝の沖島サイ…」
矢川は周囲に聞こえない程の微かな声をこぼす。
「お前は確かにテニスの実力では、私を遥かに勝っている…。しかし…」
「私のイリュージョンショットをやぶる事は出来ない…」
完全に矢川の優勢となったゲーム展開のまま、カウントは『4−4』の同点。
運命を大きく左右する9ゲーム目が幕を開けた。
-2-
「イリュージョンショット、か…」
サイはサーブの構えのまま、ふいに考える。
「あれをやぶらない限り、この試合の俺の勝ちはないな…」
ボールを2、3、地面につき、呼吸を整える。
「でも…、どうすればいい…?」
2,3、ついた後、一度ボールを握るが、再度ボールをつき始める。
まるでサイは考える為の時間を稼いでいる様にも見える。
「姿形はもちろん、動きまで一緒の3つのボール…。触れる瞬間まで本物がどれかはわからない…」
そして…
ようやく目を相手側のコートに向け、サイはボールを握る。
「何とかあのショットに反応さえ出来れば…」
サイはトスを上空に放り…
「…ん?…反応?」
サーブの構えに入る。
『もしかしたら…』
「…!?」
スパァン!
サイの放ったサーブが矢川のコートに向かって走る。
『イリュージョンショットを…やぶる…方法って…』
「…ふふ、試合の始めよりもファーストサーブの威力が落ちているな…」
矢川は口元に微笑。
確かにサイのファーストサーブは試合開始直後に比べると速度も威力も落ちている。
「もう諦めたのか…?沖島サイ!」
矢川はそのサーブを見逃さずに、大き目のテイクバックで腕に力を込める。
ズドンッ!
矢川の会心のショットが、鋭くサイのコートの角を突く!
「くっ…」
サイはとっさの反応で走り込み、何とか打ち返す。
スパァン!
しかし矢川の鋭いショットに態勢を崩されていた為、コースまでは狙えず、つい矢川の打ちやすいコートの真ん中に返ってしまった。
「来た…。絶好の球だ!」
矢川は目を光らせ、「得意の構え」に入る
そう…、「あのショット」だ。
「…来る!」
サイはその瞬間、矢川の狙いを読んだ。
「イリュージョンショット!」
スパァン!
矢川がそれを放つ!
「…来たな!」
サイはこの瞬間を待っていた。
「うおおっ!」
サイは突然ラケットを顔の前に構えたまま、全力でコート前面に走り始めた。
「…何だ?何を…」
矢川はサイの予想外の動きを見て、違和感を覚える。
『イリュージョンショットは3つの内の2つのボールが幻。しかしそれを視覚で判断する事は出来ない…』
サイは素早く走り込み、ネット手前で止まった。
『それなら…』
そして、足を肩幅に開き、腰を落とし、ラケットを顔の正面に構え、イリュージョンショットと自分が正面から向き合う位置で待つ。
これは、「ボレー」の構えだ。
「『反応』すればいい!反射神経でな!」
やがてイリュージョンショットがサイの目の前まで飛んで来て…
3つに分裂した!
「…。見るんじゃない、『反応』するんだ…」
サイは自分に言い聞かせた…。
そして待った…。イリュージョンショットが自分の距離の中に飛び込んでくるその瞬間を…。
「右…、真ん中…左…」
そして…
「そこだ!」
ショットがサイの体にぶつかる一歩手前の瞬間、サイの反射神経がとっさに働き、「無意識に」サイはラケットを突き出す。
左側のボールに…
スパァン!
ボールは見事ラケットに当たり、打ち返され、矢川のコートに突き刺さる。
サイのボレーが完璧に決まった!
「な…」
矢川は返されたボレーに反応できずに、立ち尽くす。
『15 − 0!』
審判のコール。
「ビンゴ!」
サイは確かな手応えに、ガッツポーズを掲げる。
サイの予想は見事に的中した。
確かに幻(イリュージョン)を目で判別する事は出来ないが、防衛本能の表れとして無意識の中で働く反射神経をとっさに使えばどれが本物のボールかを感じ取る事が出来る。
「イリュージョンショット…見切った!」
サイのその1ポイントに、試合の流れを呼び戻すチャンスと共に勝利を確信した。
-3-
『や〜い、弱虫!』
『こっち来んなよ、根暗がうつるだろ!』
『ははは、もやしっ子は帰ってパソゲーでもやってなよ!』
…いつも皆俺を馬鹿にする。
確かに俺は体も細く筋肉も無い。性格も暗い。
それでも…。
テニスに関してだけは、人一倍の努力はしてきた。
勝ちたい。誰よりも強くなりたい!
強くなって皆に認めてもらいたい!
それだけなんだ…。
そんな時、俺の唯一の特技の「手品」を応用して考えたのがこの「イリュージョンショット」だった…。
『何だ!?今ボールが増えたぞ!』
『すげ〜!どうなってんだよ!?』
『こんな球、絶対返せねえよ!』
皆が俺のショットに驚いている…。
俺に注目してる…。
俺を尊敬している…。
すごい、こんな事初めてだ。
嬉しい…。
その時決めた。
俺はこのイリュージョンショットを使って、頂点に立つ。
そしてもっと多くの人間に俺を認めてもらうんだ。
『矢川友広』を…、認めさせるんだ!
だから…
こんな所で負けるわけにはいかない!
沖島サイ。
俺はお前の様な奴が1番嫌いだ。
テニス部入部1年目にして、秋の区民大会優勝。
期待のエース。
才能に溢れ、いつも皆に羨まれる。
ルックスも良く、女の子にもモテる。
人気者…。
むかつく…。
俺と正反対のタイプ…。
絶対に潰してやる!
今日、ここで!
-4-
「そこだ!」
スパァン!
また、サイのボレーが決まった!
矢川のイリュージョンショットは完全にサイのボレーの前に破られている。
『0 − 40』
審判のコール。
ゲームカウントは既に、4−5でサイの優勢。
つまり、マッチポイント。
次の一球を制した時点で、サイの勝利となる。
サーブを打つのは追い詰められた矢川だ。
「…」
スパァン!
「てい!」
スパァン!
矢川のサーブから始まり、ラリーが続く。
「俺は…」
突然、矢川は目の色を変え、ラケットを大きく構える。
「負けられないっ!」
矢川が叫びと共にラケットをフルスイングし、早い打球を返す。
「イリュージョンショット・改!」
ズドオォン!
「…!」
サイはイリュージョンショットの対策として、いつもの通りネット際に走り込み、ボレーの構えに入る。
そして、ボールはサイの方に近付くにつれ、分裂する…。
その時だ!
「え!?」
サイは驚いた。
ボールの数が…3つではない!
6つに増えたのだ!
「ははは。沖島!お前は俺の作ったイリュージョンから逃げられはしない!」
矢川は戸惑うサイの表情を見て、歓喜の笑いを上げる。
「…馬鹿が」
サイは一瞬にして表情に落ち着きを取り戻すと、ボレーの構えに入る。
「まだわからないか…?俺はボールを『見て』はいない。『反応』しているんだ」
加速を付けた6つのボールがサイに襲い掛かる!
「ボールがいくつだろうと…」
そして…
「真実は1つだ!」
スパァン!
「…!?」
サイのボレーが決まった…
『ゲームセット アンド マッチ ウォンバイ沖島。スコア イズ 6−4』
審判のコール。
その瞬間、サイの勝利が決まった…。
-5-
「ありがとうございました」
試合後、両選手はコート中央で向かい合い、握手を交わした。
「…」
矢川はうつむいたまま、まるで放心状態の様だ。
自分の自信の元になっていた「イリュージョンショット」をやぶられたショックは、彼にとってそれだけ大きかった。
その時
「矢川君…」
「え?」
ふと思いがけずサイに声をかけられ、矢川は顔を上げる。
「試合は俺が勝ったけど、結局『イリュージョンショット』のタネはわからなかったよ」
サイは笑顔で言う。
「…」
「またいつか、試合してくれるか?その時は絶対見破るから」
握手する手からサイの力を感じた。
矢川はその瞬間、何か胸の底から込み上げるものを感じた。
「ああ…こちらこそ…」
小さな声だが、矢川はそう答えた。
その言葉を最後に、両者はもう一度笑顔を交わし、コートを去った。
矢川は試合に敗れ、夢を掴み損なった…。
でもこの1戦は絶対に、自分が前に進んでいく為の糧になる。
そう矢川は確信して、次の大会への闘志を燃やした…。
沖島サイ、1回戦勝利。2回戦進出決定。
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