「あの木の下で」
著者:雨守



第二章 『運命』

 2015年 4月10日

 世界は再び戦争の渦に飲まれていた…。

『第三次世界大戦』。 
 三年年前に突如現れた謎のテロリスト『DEAD CHERRY』が世界の国々に宣戦布告をしたのが全ての始まりだった。
 彼らの目的は『母なる大地』の征服を果たし、この地球に『神の楽園』を築く為に全ての人間を排除しようと言う狂気なものだった。
 初めは誰もが彼らの言葉になど耳をかさなかったが、彼らの予告無しの核攻撃によって数カ国が一瞬にして地図上から消された。
 そこから戦争が始まったのだ。
 
 その後世界各国が一つとなって、対テロの組織『国際連合防衛軍』を設立しテロを迎え撃った。
 『DEAD CHERRY』の強大な科学技術と軍事力は全世界の力を持ってしても簡単には抑えきれず、既に戦争は三年間に渡り平衡状態を続けている。
 しかし三年間と言う長い期間は両軍の軍事力を削っていき、この戦いにもようやく終わりの時が来ようとしていた。
 この日、『国際連合防衛軍』と『DEAD CHERRY』の最後の終幕を迎えようとしていた。


-1-
「う…ん」
 青年は目を覚ますと、同時に激しい体の痛みに襲われる。
 その胸には『国際連合防衛軍』のマークが輝いていた。

 俺は…?
 青年の脳裏に数十分前、意識を失う直前に空を駆けた光景が蘇る。

 激しい戦闘の末、交戦中だったテロリストの戦闘機もろとも地面に墜落した筈だった…。
 何故自分は生きているんだろう…。
 
 青年は徐々に痛み出す頭を押さえながら、なおも記憶を辿っていく。

 …そうだ。
『地上数十メートルの場所で、俺はとっさに戦闘機を飛び降りたんだ…』
 ふと気が付くと、腰には使用済みのパラシュートがまとわりついていた。

 そこでようやく青年の記憶は今につながった。
「俺は助かったのか…」
 生きている、という事実と共にあらためて体の痛みを実感する。
 青年はようやく肩の力を抜く事が出来た。

 
 そして
「一体ここはどこなんだ…」
 しばらくして体の痛みがおさまり出した頃、青年は黒い煙に包まれた辺りを気にし始めた。 
 やけに静かだ…。
 気のせいか煙に紛れて、草の匂いがする。

 青年がしばらく歩いて行くとようやく煙が晴れ、辺りが見え始めた。
「ここは…」

 煙の向こうに見え始めた景色は、青年の想像とは全く別のモノだった。
 小さな家…、広い田畑…、商店街…。溢れる緑…。
 戦争の恐怖を忘れさせてしまう様なのどかな場所だった。

「町…?」
 しかしその田舎町には全く人間の気配は無い。
 それにもう一つ不思議なのはその町のあまりの「美しさ」だった。

 世界中のほとんどの都市は戦争で焼かれ、酷い状態になっている。
 住民たちは各地のシェルター等に非難し住宅街を放棄していったため、街はテロリストに好き放題に焼かれて原型が残っている都市などほとんど存在しないはずだ。
 それなのにこの田舎町はどうだ?
 建物…、緑…、そこらにある田畑など、ほとんどと言っても良いほど戦争の被害を受けている形跡はない。
 まるで美しい状態のまま時間が止まっている様だ。
 何故だろう?
 
 ただ一つ、ここに人間がいない理由にだけは察しが付く。
 他の都市と同様、やはり住民達はどこかに避難してしまったのだろう。
 今この地球上に安心して住める場所など有りはしないのだから…。

 青年はその田舎町をまじまじと眺めながら、商店街の真ん中を歩き出す。
 かつてはここにも人が賑わっていたのだろう。
 買い物に来る人達、物を売る人達、大勢の人達の活気が感じ取れる様だ。

「…?」 
 ふと、青年は気が付く。
 何だか急に懐かしい感じがしてきた。
 そこらにある家も、店も、木達も、自分は遠い昔に見ていた様な気がする。
 理由はわからないがどこか心地の良い感覚が青年を包み始めた。

 
 やがて青年は商店街を一周し終え、入口のゲートの前に辿り着く。
 『なのはな商店街』

「…!?」
 青年はその名を見てようやく気が付いた。
『ここは…。』

 懐かしい感じがするのは当たり前だ。
 そこは、まさしく青年が生まれた町だったのだ。
 十年前、まだ八歳の頃父の仕事の都合で引っ越すまで青年はこの町で暮らしていた。

「俺は、帰ってきたのか…」 
 青年は急にその町にどうしようもない愛おしさを感じ始めた。 
「懐かしい…」
 走馬灯の様に住んでいた頃の記憶が鮮明に蘇る。
 この商店街にいつも母親と二人できて、お菓子を買ってもらったものだ。そして、休みの日には父親と公園に虫取りに出掛けた。
 懐かしい…、何もかもが。
「そうだ、あの子どうしてるかな…」
 ふと青年の頭の中に、一人の少女の顔が浮かび上がる。
 いつも一緒に遊んだ幼馴染の…

「…そうだ!?」
 と、回想を懐かしむのを遮る様に、青年は慌てた様子で腕にしていた軍で支給された時計を見る。
「今日は…、四月十日」
 今日の日付を見た瞬間だ。
 突然熱い衝動が青年の胸に蘇ってきたのは。

 そうだ…、完全に思い出した。
 『四月十日』。今日は自分にとって特別な日だったのだ。

 ふいに青年は遠く町の向こうにある山のふもとを見つめる。
 山のふもとにある森。
 
「行かなきゃ…」
 次の瞬間、気が付けば青年は走り出していた。
 
 思い出が呼ぶ、その場所へ…。



-3-
「ここも昔のまんまだな」
 青年は森の中を真っ直ぐ歩いていく。
 辺りの木々は美しく濃い緑色で、生命の強さを感じさせる。
 ここには戦争は無い―。
 おそらくたまたまテロの目に止まらずに、空襲や核による被害を受けなかったのだろう。
 物音も無く心を癒す空気だけが広がる穏やかな森は、青年がまだ小さい頃に遊びまわった場所そのものだった。
「もう少しだな…」
 『約束の場所』までもう後少しだ―。
 

「ここだ…」 
 青年は辿り着いた。
 森の奥にある大きな桜の木はピンクの様な白の様な、それは美しい花を咲かせていた。
 その桜は周囲を囲む木々の中でも飛びぬけて大きく、堂々とそびえ立っている。
 その木は青年がまだ幼い頃に見たままだった。

「あの日、ここで約束したんだったな…」
 青年の心の中に十年前の光景が鮮明に蘇る。


『約束しよう…』
『十年後の今日、もっかいこの場所で待ち合わせ』
『そしたら…、私の事お嫁さんにしてね?』
『うん…』 

 
 青年がまだ八歳の頃、ある少女と交わした約束だった。
 その少女の名は春香と言う。
 そして青年の名は…友樹。

「春香ちゃん、どうしてるかな」
 誰もいない桜の木の下で、友樹は恥ずかしそうにクスッと笑う。
 
 八歳の頃、毎日この場所で春香ちゃんと遊んでいた。
 楽しかった。今でもハッキリ憶えている。
 そして自分が東京に引っ越す前の日、この場所で彼女と約束を交わしたのだ。

「さすがに憶えてないよな…」
 「諦め」というよりも初めから期待していなかった様に呟く。
 
 確かに幼かった春香にとってはほんの軽い気持ちで交わした何という事の無い約束だったかも知れない。
 しかし東京に引っ越してからと言うもの、なかなか友達も出来ずに悩んでいた友樹はその約束だけを支えに頑張っていたのだ。
 そして三年前…テロリストとの戦争が始まると、当時十五歳の友樹でさえも世界を守る為に防衛軍に入らされた。
 それからの訓練の日々…。
 まさに地獄そのものだった。
 そんな中でも友樹は春香との約束を片時も忘れた事は無かった。
 それは友樹の心のたった一つの支えだったのだ。

「ま、ここに来れただけでもいいか」
 友樹は満足げな顔をしていた。
 
 今日この場所で春香には会えなかったけど、「幼い頃の自分と春香」には会えた気がした。
 友樹にとってはそれだけで十分だったのだ。

 その時。

 ズギュン!

「…!?」
 ふいに静かな森の静寂を切り裂くように聞き慣れた乾いた音が響く。
 同時に何かが友樹の顔のすぐ横の空気を切り裂いた。

 銃声…!?
 
 友樹の顔は一瞬にして幼い少年の顔から、軍人の顔に戻る。
 そして友樹は腰に装着されたケースからサバイバルナイフを取り出し、銃声が鳴った方向の草むらに体を向けて構えた。
 
「そこまでだ」

 草むらからゆっくりと人影がその実体を現す。
 
 その人物は長い黒髪を肩まで垂らし、大きな黒いサングラスをしている。
 声の感じからして女性の様だ。
 そして間違いなく、テロリスト『DEAD CHERRY』の軍服を着ていた。

「くっ」 
 完全に油断していた。 
 まさかこの森の中に『DEAD CHERRY』の人間が潜んでいようとは夢にも考えなかった。
 友樹は銃を向けられたまま唇を噛みしめる。

「貴様がさっきの戦闘機の操縦士だな」
 サングラスの女は銃を友樹に向けたまま言う。

「という事は…お前が?」
 友樹もナイフを構えたまま相手を睨みつけて言った。
 つまり目の前にいるサングラスの女は、さっき友樹が激しい戦闘を繰り広げた相手。『DEAD CHERRY』の隊長機の操縦士…、テロリスト達の司令官という事になる。
 意外だった。
 あの恐ろしいテロリスト達の最高司令官がまさか女とは…。
 それも随分若そうだ。
 彼女がここにいるという事は、自分と同様に墜落寸前に戦闘機から脱出したのだろう。

「散々手間をかけてくれたな。ここで死んでもらう」 
 司令官は冷徹な声を吐くと、重い引き金にそっと手をかけた。
 
 一瞬二人の間に張りつめた静寂が押し寄せる…。

 ズギュン!  

 放たれた銃弾は友樹が立っていたすぐ後ろの木に命中した。
 友樹は司令官が引き金を引くより一瞬早く体を横に逃がし、難を逃れたのだ。

『くっ、銃とナイフじゃさすがに分が悪い…』

 間一髪で銃弾をかわす事は出来たものの,次はそうはいかないだろう。
 間合いを詰めない限り,このまま戦っていても勝ち目はない。
『よし…』
 友樹の頭の中で,一つの戦略が出来上がった。
 
「逃げ足だけは早いな」
 司令官は間髪入れず,再び引き金に指をかける。
 しかし…

 バサ!

 次の瞬間,司令官が銃を撃つ前に友樹は素早く草むらに飛び込んだ。
 一端姿をくらまし,草むらの中を移動して間合いを詰めようという作戦にでる為だ。 

「ちっ、こざかしい」
 司令官は銃を構えたまま下ろし,辺りを観察する事に全神経を注いだ。
 しかし草むらに入り込んだと同時に気配を消したらしく,敵の居場所はなかなか掴めない。

 森の奥の広場に沈黙の時間が流れ,辺りは重い空気に包まれていった。


-4-
「くそ、どこだ…?」
 司令官は銃を構えながら全身の神経を研ぎ澄ませる。 
 草むらに姿をくらました敵兵の気配はなかなか感じ取れなかった。
 森の中と言うのは予想以上に静かなもので、気の遠くなる様な壮大な空気がかえって集中力を狂わせる。
『まさか、そこまで計算して草むらの中に…?』
 だとすれば相手もかなり経験が豊富だという事になる。
 さっきの空中戦の戦略と言い、つくづく油断のならない相手だ。
 司令官はそう思いながらよりいっそう敵兵に対する警戒の念を強めた。
 
 ズキ…。

「うっ!」
 ふいに司令官は不思議な頭痛に襲われた。
『またか…』
 森に入ってからずっとこの不思議な痛みが頭から離れないのだ。
 さっき墜落する戦闘機から脱出した時も特に外傷は無かったはずだ。
『何なんだこの森は…?』
 司令官は苛立ちながら長い黒髪をかき上げた。

 懐か…しい…

『懐かしい…?』 
 ふいに司令官の頭の中にそんな言葉がよぎった。
 懐かしい…、どういう事だろう?自分はかつてこの森に来た事があるとでも言うのだろうか?
「…」 
 その時になって司令官は初めて考えた。
 そもそも自分はどこの誰なのだろう…、と
『そうだ、私は本当は一体何者なんだろう…?』
 考えてもみれば自分には「記憶」という概念が全く無い。
 気付けば『DEAD CHERRY』にいて、気付けば司令官になっていて沢山の部下に囲まれていて、そして気付けば…沢山の人間を殺していた。
 
 チェリー=ローレンス。それが今認識している自分の名前だった。 
 そもそもこれは自分の本名なのだろうか?
『DEAD CHERRY』に入る前は自分はどこで何をしていたのだろう?
 
 ズキ…!

「くっ!」
 痛い…頭が痛い…割れる様だ…。
 何だ、この感じは…。
 少しずつ…失われた何かが戻って…。

 すると…。
 突然司令官の前に小さな男の子の姿が現れた。

『…!?』
 誰だ…?誰だこの少年は…?
 目の前の小さな男の子はどこか憂鬱な表情でこちらを見つめている。
 

『僕…東京になんか行きたくないよ』


『!?』
 目の前の男の子は確かにそう言った。 

『ずっと春香ちゃんとここで遊んでたいよ…』


『…』
 友樹…君?
 ふいに気の遠くなる様な頭痛の中、司令官の頭の中にその少年の名前が浮かんだ。
『そうだ…友樹君』 
 司令官の中に完全にその少年の存在が蘇る。
 彼の名は友樹…。
そして「春香」という名前は…。


「うわあああああああっ!」


「っ!?」
 突然聞こえた耳を突く様な大きな叫び声と共に、司令官の視線の中からその小さな男の子の姿は消え去った。
 そして本能的にその声の方に向き直ると、そこにはサバイバルナイフを両手で握り締めて迫り来る防衛軍の青年の姿があった。
「しまった!?」
 司令官は完全に今自分が戦闘の最中であった事を忘れていた。
 とっさに手の中の銃をその青年の方に向け、同時に引き金に指をかける。
「遅いっ!」
 青年はナイフを前に突き立て、凄い速さで接近してくる。 
「ちぃっ!」
 司令官は照準を合わせる間も無くただ銃を青年の方に向けたままその引き金を引く。


 ズギュン!!



-5-
 パリンッ!

 ふいに何かが割れる音が森に響いた。
 音と同時に地面に叩きつけられた大きなサングラスの黒い破片が散らばる。
 数秒前まで司令官が着用していた物だ。
 そして…すぐにその破片の上から鮮血の液体が降り注ぐ。

「ぐふ…」
 激しい痛みが腹部を襲った。
 一瞬…ほんの一瞬すぎて何が起きたのかよくわからなかったが、司令官は自分の腹部に突き刺された「それ」を見て実感する。
『負け…た?』
 自分の放った銃弾はやはり照準を外していた為、相手の右腕をかすった程度で終わったらしい。
 しかしもう何もかもどうでも良かった。
 激しい激痛の中で彼女はとても心地の良い感じに包まれていたのだ。

「ま…、まさか…」
 銃弾がかすめ、鮮血に染まる右手を押さえながら友樹はその顔を強張らせていた。
 目の前の女の顔に驚愕していたのだ。
 たった今、自分がこの手で刺した女の顔に…。
 衝撃で大きなサングラスが外れて初めて露になったその顔は、間違いなく記憶の中の少女の面影の残る顔だった。
「春香…ちゃん?」
 自然と口からその名前がこぼれた。

「春香…」
 目の前の青年が吐いた名前。
 今ならはっきりとわかる。
 数年前にこの町に置き忘れた自分の真実の名前だった。
 司令官は満ち足りた表情だった。
 自分の名前は春香、そして目の前にいる青年は友樹。
 二人は十年前この場所で約束を交わした。
 そして再開の約束は"ようやく"果たされたのだ。
 春香は激しい痛みの中で、優しい何かに包まれている様な気がした。
「友樹…君」
 徐々に血の気が引いて青ざめてきた顔で、春香は満面の眩しい笑顔を見せた。
 軍人の顔などではなく、愛らしい少女の微笑を。

「春香ちゃん!」
 彼女の笑顔が友樹のと迷いを確信へと変えた。
 友樹は夢中で手を春香に差し伸る。
 しかし。

 ドサ

 無情な音を立てついに春香は地面に崩れ落ちた。
 
「春香ちゃん!?」
 慌てて友樹は倒れ込んだ春香の体を抱き起こした。
 が、すでにその意識は完全に失われていた…。
「そ、そんな…」
 震える友樹の腕の中で眠る少女の顔は微笑んでいた。
 テロリストの軍服に見を包み眠っているその少女は幼馴染、春香以外の何者でも無い。
 たった今自分が致命傷を負わせたその少女は…。

「うわああああああ!!」

 友樹は天を仰いで泣き叫んだ。
 小さな子供の様に、夢中になって泣き叫んだ。


 ふいに春の風に流されて舞い降りる桜の花弁が、二人を包み込む。
 友樹の叫びは四月の空に響き渡り、戦争の終わりを告げるサイレンとなった。




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