第三章 『風の行方』
2025年 4月10日
小高い丘の上にとても眺めの良い場所がある。
春の暖かい風が優しく頬を撫で、髪を揺らす。
丘の下の少し先に大きな桜の木があるので、風に乗って桜の花弁が舞い込んでくる。
これもまた風流だ。
男はいつもの様に丘の上に立ち、大きく息を吸い込む。
十年前の終戦から世界は少しずつ形を戻しつつある…。
しかし失われた物も大きく、人もたくさん死んだ。
都市部では復興作業の人材不足が深刻となり、毎日が忙しく目まぐるしい。
そんな環境の中にいるのが嫌で、男は時間が止まったままのこの田舎でひっそりと暮らしているのだ。
「少し森を歩いてみようかな」
男はゆっくりと動き出し、丘を下って行く。
年齢にしてまだ28歳だと言うのに、ずいぶんとくたびれてしまっている雰囲気だ。
「行こう」
男は呼びかけるが、どこからも返答は無く人の気配もしない。
有るのは男の両手が押している車椅子に揺られている「物言わぬ女性」だけだった…。
森の中は静まり返っている。
聞こえるのは春風が木の葉を揺らす音だけだった。
ここの景色だけは昔のままだ。
戦争の時には偶然にも空襲の標的にならず、そのままの景色を維持してきた。
この奥には男の一番好きな場所がある。
「もう少しで着くからな」
男は心なしか嬉しそうに、自分が押している車椅子の女性に話しかける。
女性は相変わらず返事もせず、表情一つ変えなかった。
『第三次世界大戦』において、人類を滅ぼそうとした恐怖のテロリスト『DEAD CHERRY』はかなり発展した技術の持ち主だった。
彼らは防衛軍との兵力の差を埋めるために、ある「恐ろしい行動」を取った。
軍と関わりの無い一般の人間を女子供関わりなく大勢拉致して、洗脳し、強力な兵士を作り上げていたのだ。
拉致された人々は、まず記憶を抜き取られ、ただ戦争のやり方だけを脳に植えつけられた。そして、体の潜在能力を無理やり引き出す薬物を投与され、軍人として戦わされていた。
こうして罪の無い大勢の人が殺人兵器として戦争に参加していた。
この「車椅子の女性」もその一人である。
彼女は記憶を抜き取られた副作用と戦争で負った傷により、今は完全に植物状態に陥っている。
しかし彼女の場合は一命を取り留めただけでも幸運といって良いだろう。
拉致された人のほとんどのは戦場で最期を迎える結果となってしまったのだから…。
そしてさらに歩き続けると、ようやくその場所に着いた。
「着いたよ」
男は女性に話しかける。
森の奥にポッカリと広場があり、そこには大きな一本の木がある。
その木がピンクの様な白の様なそれは美しい花を咲かせていたのだ。
桜の木だ…。
「今年も綺麗に咲いたな」
男は様々な想いを胸にその桜を見上げた。
ここでは色々な思い出がある。
男にとっても…、車椅子の女性にとっても…。
二人は幼馴染であり、よくこの木の下で遊んでいたのだ。
もちろん、楽しい思い出ばかりではない…。
彼女の体がこんな風になってしまたのも、実はこの場所なのだ。
「…」
男はふいに言葉を失う。
そんな二人も今では『夫婦仲』にある。
もちろんこんな時代のせいもあり、式などは挙げられるはずもないが。
男は一生彼女の面倒をみて行くと心に決めていた。
彼女をこの桜の木の下に連れてくると時々微笑む。
理由はわからない。
でも今はその笑顔だけが男のただ1つの宝物だった。
だから生きていくのだ…。
全てが始まり、そして終わったこの木の下で…。
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