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この学校には、呪術師が居る。
そんな噂が流れたのは、入学して二ヶ月ほどたった日のことだった。
昼休み、お弁当を囲んで話しているうち、誰かが眉唾のその噂を取り出した。
「そういや、この学校に、相手に"のろい"をかけられる人間が居るんだってさ」
「なにそれ。誰から聞いたの?」
高校生にもなってそんな非科学的なものを端から信じる人は誰もいない。机を並べた全員が溜息交じりに応じるが、話の種は尽きていないようで、話題を切り出した子は別段気にした風もなく次をしゃべり始める。
「部活の先輩。なんでも、"のろい"が掛かった相手は呪術師の言いなりになるんだって」
「えー。じゃあ、その人に頼んだら、私も誰かをどうにかできるのかな?」
別の誰かが怖いことをさらっと言う。悪意がないようで、表に見えていないだけだから怖い。
「でも、実際にその人のことを知っていじめた子がいて、"のろい"に掛かった子は交通事故にあったり、なんかロクな目にあわなかったって」
「ほんとに?」
私は話を半分くらい流しながら、黙々と弁当の中身を口に運ぶ。今日のたまご焼きは良くできている。美味しい。
まあ、そんなのが実際にあったら、怖い、とは思う。
自分がそんな力を自由に使えたら、さぞかし有意義な学生生活を送れるかもしれない。
あくまで、自由に使えたら、だが。
「"のろい"ねえ」
馬鹿馬鹿しい、といった風に、誰かがその忌々しい名を口走る。
「で、誰なの?」
「何が」
「"のろい"を持ってる人間だよ」
やけにつっこんできた少女に、言い出しっぺは困ったように笑った。
「さあ。でも、今年入学して来たって言ってたから、ウチの学年じゃない?」
「なんだ、結局分かんないんじゃん」
「うん。まあ、今度先輩に聞いとくよ」
あーあ、と誰かが言って話は切れ、次の話題へと移る。みんな、こんなお弁当を楽しく食べてる時に本当の内容を詳しく知りたいわけじゃない。
肝心な所がわからないのは怪談や都市伝説と同じで、多分先輩も詳しいことは知らないのだろう。きっと、それで終わりだ。
「………」
しかしまあ。
次の話題を話三割で聞き流しながら、箸で突き刺したウインナーを食べる。
喉元過ぎればなんとやらとはいうが、あれだけ思い知らせたというのに、一体誰が私のことを漏らしたのだろうか。
後悔したのは、その一ヶ月後の、夏休みの直前だった。
呪術師が居るという話は私の周りではそれきりだったので、話は途切れたのだと思い込んでいた。
図書委員会の定例会が終わって、取締の副補佐になり、あの例の黒革の手帖を受け取ることになった日だった。
私は、違うクラスで接点もなく、どちらかというとヘラヘラしてキライなタイプだった久藤に呼び止められたのだ
「君原、お前って、人に魔法かけられるんだって?」
話したいことがある、と二人きりになった図書室で、久藤は開口一番そう言った。恥ずかしげも戸惑いもなく、他の人間が聞いたなら、多分失笑することを平気で言い切った。
いきなりのことに戸惑って面食らった一瞬の顔を、久藤は見逃してはくれなかった。
「………なんのこと?」
頭の中が回転する。何度も繰り返し、使い古した言い訳と切り返しを1ダースほど並べてみる。
ネタの元は上級生か。誰が、この学校に進学して残っているんだろう。
自宅周りの、通常の学区を避けて、知らないところを選んだのに。
「一ヶ月かけて調べたんだ。今学校に流れてる噂の魔術師が誰なのか。その噂は本当なのか」
大真面目な顔をして、久藤は言った。
余計なことを、と心中で舌打ちする。
「そんなもの、持ってるわけないじゃない」
「いや、お前は今、こんなばかげた話を鼻で笑わなかった」
的確な指摘に、胸に苦い思いが広がる。
私は、人を操る"のろい"など持っていない。ほんの少しだけ、人より結末を空想しやすいだけだ。
彼はこうだから、きっとこうなる。彼女はこう動くだろう。私にとって空想に近い、単純な類推を積み重ねる遊びが口に出た時から、人はそれを運命を司る"のろい"と呼んで私を遠ざけた。
それは決して確実の力ではない。自己の力で操りきれるものでもないし、変えられるものでもない。
「………それが仮に本当だとして、私に何の用? 高校生にもなってそんな話、馬鹿じゃないの」
当然、そんな力はどこを探したってない。
そんな力があれば、私はとっくのとうに自分を"のろって"いる。
こんな運命を、どうかなかったことにして欲しいと。
「声を荒げるってことは、心当たりか、心当たりはないけどそれについてなんか嫌なことがあったってことか」
淡々と、久藤は目の前で不愉快な推理を繰り広げる。
実に不愉快だ。
一ヶ月、実在するかもあやふやなモノを探して、結局私のことを嗅ぎまわっていた男。
「そんなのないんだって! 勘違いも大概にしてよ!」
身の毛がよだって鳥肌が立つのと同時に、思わず怒鳴っていた。純粋に、気持ちが悪かった。
怒鳴られても、目の前の久藤は表情一つ変えず、ひょろりと細長い身体を使って私を見下ろしていた。
「ならいいけど。お前、もう大分疑われてるぞ」
「………え?」
静かな久藤の声に、思考が停止した。
放課後で、夏至の近い陽は夕暮れもまた長い。
いろんな赤に照らされながら、久藤の顔は汗一つかかず冷静だった。
「お前は知ってるか分かんないけど、この噂、結構流れてんだぞ。それで、お前がそうなんじゃないか、みたいなのがチラホラ聞こえてきてるから」
それは初耳だった。ただその類の話は皮肉なことに、本人には一番伝わりにくい。周りだけが話をぐるぐる回して膨らましていくのを、当事者はずっと眺めているだけだ。
でも、だから、なんだって言うんだろう。
人のことを調べて、それで分かった気取りでもするつもりだろうか。
それならこいつも、私を中心に勝手に据えて騒いでいる奴等と、変わらない。
「………だから、なに?」
猛烈に腹が立って、お腹の中で煮えた言葉を、ぶつける。
「そんな怖い顔すんなよ。別に誰かに言ったりしねえって」
「それじゃ、なんでこんなことを調べたの」
「なんでって………」
言い淀んで、久藤は覆いかぶさるような猫背のまま、窓のほうに視線を反らした。
「笑わないって、約束してくれ」
「は?」
切り出された言葉の意味が分からず、私はさらに怒りを募らせて聞き返した。
「だから………笑わないって誓え」
少し怒ったように、久藤が繰り返す。夕暮れに凝らすその目は、真剣だった。
迫力に圧されて意味も分からずに肯いた私を、久藤は見下ろした。
「その、突然なんだけど………お前が持っている魔術師の名前、俺にくれないか」
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