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ヘクトが自宅最寄りのバス停までは歩きでかなりある。
自宅とは反対方向の骨董屋に行ったせいも十分にあるが、近くの二十四時間営業の雑貨屋の時計を眺めると、既に九時を回っていた。
毎日帰りに歩いているものの、家の前にある急坂だけは足がくたくたになるとどうしても登る気が失せた。
その坂の真中辺りで立ち止まって振り返ると、平均四十層を越える建物が遙か天空を貫かんばかりの勢いで乱立しており、明かりが明滅しているのが見える。ネオンは繁華でこそきらびやかだったが、丘の中腹辺りにあるこの住宅街からはそれは「見える」だけであってこの場にはないものだった。
「……………」
その明かりに一瞥をくれると、淀むような生暖かい風を受けて、ヘクトはさっさと歩き出した。
いきなり、大金を手にしてしまった気分、というのはなんだか「うれしい」という感情は確かにあるが、「こわい」感情のほうが多い。なんでもできてしまいそうな錯覚に陥ってしまうのを、ヘクトは必死になって抑えていた。
複雑な心境のまま、今日も完全に時代からは取り残されたアパートへとたどり着いた。いつもの鍵をさしこんで、ドアノブをひねった。
その瞬間だった。
ごうっ、と少し強い風が玄関を流れていった。
………おかしい。
窓は全て閉めていったはずだ。
淀む空気こそあれ、流れる空気など存在しないはずだった。
まさか、泥棒?
こんな薄汚いアパートに出入りするとも考えられなかったが、ヘクトはあわてて狭い室内へと駆け込んだ。
部屋はワンルーム。一番端なので、奥ともう一つに窓がある。
問題の空気の流れは、奥のガラス戸がぶち破られていたことだった。
そして、もう一つ。
出る時にはなかった「モノ」が、部屋に転がっていた。
粉々に砕け散った破片とその物体をみて、ヘクトは呆然とした。
「…………」
とりあえず電気をつけてみる。
「…………」
次に部屋中のコードをありったけ集めて、ヘクトはFDを忘れてその作業に集中した。
『作業』が終わると、ヘクトは「モノ」を一度二度はたいた。
「おい」
「うっ………ぐにゃあ〜」
奇っ怪な音を漏らして、それは再び黙り込もうとする。
「おいっ!」
「おわっ!」
今度は、耳元で叫んでやると、途端に、目が開いてそれはおおきくのけぞって倒れた。
「…………」
「………?」
「………」
「……??」
「……」
「…???」
状況が分かっていないらしい。
『コードでふんじばられたままの少女』は、しばらくすると極論にいたったらしく激しく暴れ出した。
「イヤーっ、助けて!殺されるーッ!」
「おい、ちょっとまて、違うだろ!」
「えっ、違うの?」
ナイスな切り返し方だった。
「……………」
「それじゃあ………人身売買?」
「違う」
「臓器ブローカー?」
「ダークな発想から離れろ」
「ロリコ……」
「違うわッ!」
「………それじゃ、なんなのよ?」
そんなことは、ヘクトが聞きたかった。
「人のことこんな縛っちゃったして。変態もいいとこよ」
「お前、完全に自分のこと棚にあげてるよな」
「え?」
「自分で何したか、よーく思い出せよ、オイ」
にらみつけるヘクトと部屋の中を不審そうに見つめながら、彼女は黙っていたが、しばらくすると何か思い出したように声を上げた。
「ああ、そっか。そこのテーブルの角に頭ぶつけて気を失ったんだわ、私」
ようやく記憶が繋がったらしい。
「めでたしめでたし」
「……じゃねえだろ。どうしてお前が俺の部屋にいるんだよ」
「あ、そうか」
突如、殺意が沸いた。
「えーっと………あ、そうだった。あんた、フロッピー持ってるでしょ?」
一瞬だけ顔が強ばったのを、ごまかすように彼は別の無表情な顔を作った。
「………」
「それをいただきに来たのよ。それ、元もとアタシのものなんだもん」
「は?」
急にそう言われても、そう簡単にそうですかと信じられるわけがない。
「それより、お兄さん。自分が変態じゃないことを証明するためにこのコード、さっさとほどいてよ。別になにしようってワケじゃないんだからさ」
「………その前に、俺が仮にその、フロッピー……だっけ?持ってたとして、潔く渡さなかったらどうするつもりだよ」
「武力行使」
言っていることが矛盾している。
「それじゃ、このコードは外せない」
「それは、持ってるって肯定することにもなるよ」
確かにそれはそうだが、こんなセリフが吐かれることはヘクトは承知済みだった。
「俺は、そんなもの持ってないし、知らない。でも、ここでコードを外したらお前はそれが真実かどうか確かめるために向かってくるだろ。家の中をこれ以上荒らされたくないし、それ以前に君は住居不法侵入というだなぁ………」
「あーっ!もう!アンタはどこのオッサン?」
堪り兼ねた少女が怒鳴り声を上げた。
「………分かったわよ。アンタ、持ってないんでしょ。ガラス代は弁償するから、これほどいてよ」
「お前にアンタ呼ばわりされる筋合いはない」
「女性に名前を尋ねる時はまず自分から名乗りなさいよ。一般常識でしょ」
勝手に人の家にあがりこんで、こうも偉そうなコイツの態度はなんだ?
次第に、怒りが込み上げてきた。
「んじゃ、いい。お前を警察に連れてくまでだ」
「ちょ、ちょっと。それが男のすること?」
「俺はフェミニストじゃない。ここまでされて、『人間』として怒らないわけにいかない………もう一度聞く。名前は?」
少女は口をとがらせてふてくされたようだが、小さくぽつりと言った。
「………松竹、トメ」
思わず噴き出しそうになった。
ぎろり、とその瞳が憎々しげな光を称えてヘクトへ突き刺さる。
「普通、松竹ときたら梅じゃないのか?」
「わびさびも分からないヤツが偉そうな事言わないの」
「だが、妙な名前だな。日本語だろ、それ」
「名前の質はともかく一応、日本人だよ」
「…………お前が?」
確かに、少女は黒い髪に黒い瞳を持っていた。日本人は人口減少を続け、今では純血の日本人というヤツはほとんど街でも見ない。血統を守るために保護はされているようだが、それも皆無に等しい。
「………なによ」
「いや、初めて見たなぁ……と」
「それより、これー。もう暴れたりしないからさー」
言動が投げやりになり始めている。
「………ったく」
舌打ちをして、彼女に巻き付いたコードに手をかける。
「あ、そうだ。アンタの名前まだ聞いてない」
「ヘクトだよ」
「ふーん……ヘクト、か」
「ほら、外れたぞ」
「………あーあ、跡ついちゃってるー」
後ろ手になっていた手首を見ながら、トメは不満そうな声を上げる。
「文句言うな、問答無用で警察に引っ張られないだけありがたいと思え」
「…………それより、本当に持ってないの?」
「しつこいぞ。持ってるわけ………」
………ゴトン。
四つの目が、音のした方向へ向き直る。
再び直方体へ戻った、銀色の箱が木目の床の上へ転がった。
「あっ!」
一オクターブの間を空けて、きれいに音がハモる。
ヘクトは間一髪で飛び出した彼女の手よりも先に銀の箱を取り、突っ込んできたトメの一撃を食らってトメの上にすっ転んだ。
「いだっ」
「ぐえっ」
蛙の潰れたような声を出して、華奢な体が悲鳴を上げた。
「ぐっ………なによ!持ってんじゃない!嘘つきッ!」
潰れたまま、トメは力の限り叫んだ。
ヘクトにとって、一番恐れていた事態が現実のものとなったが、彼女の身動きが取れない状況というのは好都合だった。
「だからってほいほいお前に渡すわけにいかないんだよ!こっちだって、明日の昼飯がかかってんだ!」
「ワケわかんないこと言わないで!こっちだって死活問題なんだからね!」
二つの叫び声が狭い部屋中に木精する。
一応、有利とは言えヘクトはこの先どうするか、悩んだ。もう一度ふんじばれるような状況ではないし、かといってその他有効な策があるかと言えば、はっきり言ってない。
男なら、容赦なく殴って身動き取れなくするんだけどなぁ………。
いくら自分でフェミニストでないにしても、明らかに自分よりも弱い相手に拳を振るうのは気が引けた。
………こんなこと考えているから、『もどき』なのか。
「くうっ」
彼女がこちらの足をやっとつかんだところで、ヘクトは彼女から離れて壁際へ寄った。息を切らせたトメがその瞳を輝かせながら、乱れた髪をかきあげて立ち上がった。よけいな力が入っていたためか、足ががくがくになっていた。
「…………渡しなさいよ」
「ここで帰るなら見逃してやる。かかってくるなら、今度こそ容赦しない」
別に、キレたワケではない。
来るならそれ相応の戦い方をしなければならない。こちらだって、彼女の理不尽な都合で怪我した挙げ句に明日の昼飯を奪われるような事は避けなければならないのだ。
切り札として、魔術を行使することも選択肢にはあげておかなければならない。
「…………」
緊迫感が、部屋の中に立ち込める。
彼女はヘクトの動きを寸分も見逃さないようににらみ上げた。
その時。
ぴんぽーん。
辺りをぶち壊すようなインターホンが鳴った。
刹那。
鋭い蹴りが、ヘクトのアゴめがけて放たれた。
「ッ!」
なんとかガードしつつかわし、大声を上げる。
「はーい、どういったご用件でしょう!」
二発目の正拳を紙一重でまたかわし……。
「せいやアっ!」
直後に来た回し蹴りに近い回転系の蹴りもかわす。
先程と、動きがまるで違う。完全に場慣れしている動きだった。
が、この程度は見切れないレベルでもない。いつかは当たるだろうが、一回りレベルが下の相手だった。
と思った矢先だった。
彼女の拳打が視界から消え、反射的に偶然避けた頬を掠めた。
「!」
迅いっ!
「あの〜っ、ヘクトさんのお宅ですよねー」
ドアの一枚向こうは日常。
「すいま、せんっ……たてこんで、るので………ドア、開いてますー!」
………仕方ないッ!
「はっ!」
繰り出されたミドルへの右足の蹴りかろうじて弾き、波状で現れた正拳づきから腕をからめとった。
「ッ」
彼女の顔が強ばった。
一瞬の内に詰まった間合いを利用して懐へ入り、その細い腕と体を担いで彼女を体重の流れるまま、木目の床へ叩き付けた。
「がっ………」
一度小さな体が跳ね上がり、彼女はその後、案の定息を詰まらせたらしく、大きく咳き込んだ。受け身を知らないと、衝撃をモロに受けてそうなる。
「どーぞ、あけてくださー………」
言うが早いが、まず玄関口に銃を構えた二人が見えた時には、もう遅かった。
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