第一章:合鍵同盟
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)



    −3−

「………」
 武志の視線の上、階上。
 屋上の目の前の扉の前に一人、見覚えのない女子がこちらを見おろしていた。
 その足元には、立ち膝だったかなんかの上から零れ落ちたルーズリーフと、そこからはさんであっただけのプリントがなだれのようにこぼれていた。
 見た目華奢で細いその指がつかんでいるのは、錠前とそこに差し込まれたハリガネ。
「………」
「……なに?」
 きょとんとした顔で、少女は武志を見つめたままつぶやいた。呆然と言ってもいい、なにか低い可能性の出来事がかなったような顔をしている。
「……は?」
 武志の問いにもまるで答えず、少女は膝においてあったルーズリーフ一式がこぼれるのも厭わずに、立ち上がった。
 紙とほこりが、彼女の足元と言わず武志のいる階下までまるで羽のように飛び散る。
 その中央で、彼女は憮然、ひどくいえば軽蔑するような表情で武志のことを見下ろしていた。
「…………」
「………」

 再び、沈黙。

 武志にしてみれば、ほとんどこない屋上の避難場所に見知らぬ誰かがいただけのことだ。あまりに突然のことでどう切り出したらいいのかまったく分からなかった。
 戸惑う間に、対峙の沈黙と圧迫を破ったのは、一方的に彼女のほうだった。

「あなた、誰?」

 不躾な言葉とともに眉がへの字に曲げられ、不審そうな物を映す目へと眼光が変わる。

「は?」
「だから、あなたは、誰?」
 今度はゆっくりと、武志へ放たれる言葉。
 一瞬だけ逡巡してから、武志はバカにされていることに気づいて言い返した。
「それは、こっちのセリフだ」
「………?」
 少女が、無機質な瞳を多少逸らし、首を心持ち傾ける。
 転瞬、視線が武志へと返る。
「どういう意味?」
「こんなところで、なにやってんだ、ってこと」
 嫌味のようにゆっくり言い返すと、少女は意に介していないようにすっと口の端を歪めた。
 そして、すぐ横にある扉を指さした。
「開けたいんだけど、後一押し足らないの。力を貸してくれない?」
「は………」
 突如変わった話題の話についていけず、ぽかんと口を開けた武志に、少し細めたきつい視線が飛んだ。

「………あなた、ひょっとして、バカ?」

「なっ…」
 武志が反応するのと同時に、彼女の口があからさまに歪んだ。
「うっせえ!初対面にバカ呼ばわり……」
 激昂しかけた武志の前で、彼女が人差し指を口に当てた。
「………いくらなんでも、そんな大声出したら、バレるよ」
「くっ……」
 慌てて言いかけた言葉を呑み込むと、少女が満足げに微笑んだ。言葉少なにして妖艶ともとれなくもない笑いだが、いっそ底が知れないだけ、武志には不気味に見えた。
「ま、今のバカ発言は謝る、ごめん」
「………ちっ」
 彼女にも聞こえるように、舌打ちするのが武志にできる精一杯だった。
 速攻で謝られてしまったら、この怒りのやり場をどうすればいいのか分からないではないか。
 煮え切らない思いのまま、武志は睨み付けるように彼女を見上げた。
「で、なんだよ」
「屋上、開けたいんだけど、協力して」
「…………開けてどうすんだよ」
「自殺」
 一瞬空気が止まった。
「………」
「冗談に決まってるでしょ」
 本当に得体の知れない女に出会ってしまった……。
 この状況からでは到底逃げられそうもなく、武志は深いため息とともに、ルーズリーフを拾いながら一段一段階段を登る羽目になった。

「ほら」
「ありがとう」
 拾い集めた紙束を差し出すと、それを彼女は丁寧に受け取った。
 同じ高さに立ってみると、意外に小さい。
 間近で見ると、印象が違うのかどう考えても活発には程遠い雰囲気で、そこそこに長い髪が丁寧に編まれていた。
 それだけに、こんな時間、こんなところにいるのが異様だった。
「………」
「……どうしたの?」
「なんでもねえ。それで………これ、ってオイ」
 武志は扉のノブを改めて見下ろした。
 問題になっているのは、ノブの間に何重にもなって巻きついている錆びかけた鎖と、それを統括するようにそびえる錠前。そしてそこに件のハリガネが突き刺さっていた。
「鍵、持ってないのかよ」
「あったらこんなに苦労してないって」
「………」
 聞きたいことは山ほどあったが、とりあえず返事の代わりに針金を握り締める。
 多少細いが、それでも鍵穴に差しこんで十分なほどの強度を持っているらしい。
「あ、それ引き抜かないでね、型作るのに苦労したんだから」
「どっちに回せばいいんだ?」
「右。思いっきり回して……壊れたらアンタのせいだから」
「…………」
 どうしろというんだ。
 とりあえず、手にかけたハリガネに力をこめて右に回す。
 ある程度で、大きな力がかかったかのように針金がとまる。
「こっから、ってワケか」
 しかし、一回転するのにもう幅がない。おそらくこれを乗り切ってしまえば鍵が開く。
「………」
 ふと視線をそらすと、鍵穴を凝視しながら、少女が心配そうな面持ちをしていた。
「不安か?」
「そりゃ、ねぇ……悔しいけど見ず知らずに大一番を譲るわけだし」
「いきなり頼んどいて、それだけ口が減らなきゃ上等だ」
 即座に飛んだ鋭い視線を背に受けて、武志は今までの限界で固定しておいた針金の手を握りなおすと、四肢を踏み直し、一息。

「おりゃーっ!」

 がっ!

「くっ……」

 ぎぎっ……ぎぎぎっ。

「頑張れー」
「ぬ……かってぇ、これ、マジで」
 持ち手が細いのもいまいち力が入りにくい理由だ。
 力は並よりあると思っていたが、さすがに錆混じりではきついところがある。

 なんにしても、持久戦に持ち込こんだら、アウト。

「ぬおっ………!」

 ぎ……ぎゃ。
 が、ちゃん。

「お」
「お……おわっ」
 あまりに簡単な手ごたえに、前のめりになった。
 扉にぶつかった拍子に、今まで扉を支えていた錆びた鎖が錆を落とし、錠前がだらりと落ちて、床にぶつかった。
「やった……」
「いってぇ……くぅ……」
 額を押さえる武志の横をすり抜けるように、少女がその鎖をひきはがしにかかっていた。
「……ってかお前」
「……ん?」
 その手を止めて、少女が武志に振り向いた。
「感謝の言葉ぐらいないのかよ」
「ああ、ありがとう。助かった」
「………ああ」
 まったく、なんて奴だ。
 何か言おうにも、彼女は目の前の鎖を引き剥がすのに躍起になってしまっていて届かないだろう。
 まるでプレゼントの包みを開ける子供のような顔。
「………」
 こうもコロコロと表情を変えられると、応対に困る。
 そんな武志の横で、彼女はさっさと重いリボンを解き終えていた。
「さ、これでなんの気兼ねもなく屋上へ………」
 ドアノブが、少し甲高い音を立てて回る。
 ………そして。

 ドバァアン!

「ふげっ」
 彼女が間抜けな声をあげ、思いっきりドアにぶち当たった。
「ぷっ」
  思わず吹き出した武志の前の彼女が、振り向いた。
「て………笑うことないじゃない!」
「だって………どうしたんだ?」
「錆びてて堅いのかなぁ………」
 彼女が鼻をさすりながら、扉から離れつつ様子をうかがい、
「………あ」
 理由に気づいた。
「どした?」
「……ドアノブにも鍵、あるんだ」

「気づけよ」
 間髪いれずに、そう口走っていた。
 彼女は無言のままその場にへたり込むと、がくりと首を落とす。
「……………」
「……ま、第一関門突破、ってとこだな」
「くっそー……やっと開いたと思ったのに……」
 少女は落ちた錠前を握り締める。
「ま、気長にやれ」
 武志は半ばあきれながら立ち上がった。
「さて、そんなわけで邪魔したな」
「……もういっちゃうんだ」
 そういう彼女の表情には、明らかに残念そうなそぶりは見えない。
 明らかに事務的に放たれたものらしい。
「当たり前だろ。これ以上お前に付き合う理由もないし、別にサボれるならここにこだわる理由もないしな」
 だから、武志はつとめてそっけなく返した。
 これ以上関わり合いになってどうするというのだ。
 達矢は別だが、サボり同士で親睦を深めるなんてはたから見ればアホだし惨めなことこの上ない。
「そ、か……うん。そうだ」
 一人で勝手に自己完結にいたった少女は、武志に向かって軽く手を振った。
「じゃ、またね。ありがとうね」
「またね、って……もう会おうと思わなきゃ会わないだろ」
「気づけば、どこかで会うと思うよ?」
「………根拠のねえ自信だな」
「そうでもないよ。縁がないから今まで気づかなかっただけだと思うけど」
「………じゃあな」
 武志はため息混じりに軽く手を上げると、階段を下る。
「あ、そうだ」
 踊り場まで来てかかった声に、武志は振り返った。
「なんだ」
「これ、内緒にしといてね」
 振り向いた後の彼女の顔は、やたらに真面目だった。
 まぁ、見ず知らずをあっさりと信用できもしないだろう。
「分かった。とりあえず口外はしないでおく」
 武志はそれだけ言い放つと、昼下がりの階下へと消えていった。